わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

明朝には喜びの叫びがある

旧約聖書 詩篇 30篇 まことに御怒りは束の間 いのちは恩寵のうちにある。 夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。 私は平安のうちに言った。 「私は決して揺るがされない」と。 私は、 強い訳ではないのです。 誰よりも弱いのです。 あらゆる…

臨済録④

「臨済義玄」by曾我蛇足 入矢義孝訳注 岩波文庫 臨済録 行録より引用 現代語訳 そこで師は行って、問うた。 だが、まだその声も終わらぬうちに、黄檗は棒で打った。 師が戻ってくると、首座は、問うた「問答はどんな具合だったか。」 師「私の質問の終わる…

臨済録③

「臨済義玄」by曾我蛇足 入矢義孝訳注 岩波文庫 臨済録 行録より引用 現代語訳 師は初め黄檗の門下であったが、 その修行態度はひたむきな純粋さであった。 これを見た首座は 「この人はまだ歳若いが、他の者とは違ったところがある」 と感嘆して、ある時…

臨済録②

「臨済義玄」by曾我蛇足 入矢義孝訳注 岩波文庫 臨済録 行録より引用 師、初め黄檗の会下に在って行業純一 なり。首座乃ち歎じて いわく、是れ後生なりと雖も、衆と異なること有り。 遂に問う、上座此に在ること多 少の時ぞ。師云く、三年。首座云く、曽っ…

臨済録①

「臨済義玄」by曾我蛇足 禅の師匠である向令孝和尚は、 臨済宗 方広寺派 祥光寺のご住職です。 臨済宗の祖である臨済については、 臨済録という本にまとめられています。 臨済(りんざい)とは ? [生]?[没]咸通7(866)中国,唐の禅僧。曹州南華の人。名は義…

良しとするのも難しい

『疲れ気味のいせさん』bys 社会生活を送りながら、 禅的態度で、 「今」を生きる事が難しいっす。 呼吸に焦点を充て、 周囲の音に耳を澄ます。 するとすぐに、 何かの案件で周囲から声がかかる。 「ちょっと、いいですか?」 「なになに」 と反射的に対応。…

悲しみの出口

「聖母の死」by GAHAG 毎日いろんな事が起きます。 悲しい事や悔しい事。 グッと歯を食いしばって我慢した事。 それは、子供も大人も同じ。 その悲しみや悔しさは、 エネルギーとして胸の中に確かに入っていきます。 その悲しみや悔しさが生き生きと…

夏の思い出

「カブトムシ」byS 週末の早朝5時過ぎ 「おとうさん、起きて!約束だよ」 と叩き起こされました。 昨日まで仕事だったので身体は重く、 うへー ゆっくり寝てたい・・・ と思いましたが、 たしかに約束してたなあ・・・ という事で起きて準備を開始しまし…

時節

「真夏のそら」by S 朝が来て、夜が来るように。 春が来て、夏が来るように。 生まれて、老いてゆくように。 取り入れて、排泄するように。 活動をして、休息するように。 傷ついて、喜ぶように。 上流から下流に川が流れるように。 別れがあって、出会い…

人を動かす事の出来る人(4)

「線香花火」byS sintamsc.hatenablog.com 仕事をしていて面白いことは、 人は理屈で動く訳ではないという事です。 人は結局は感情で動くのです。 どんなに筋が通った理屈でも、 否定的な感情で対象者を見ていれば、 「一体どこから持ってきたのだ?」 と…