わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

あけまして、おめでとうございます!!2018年元旦!

『使命について』

 

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「2018年 元旦 ご来光」 byS

 

 あけまして おめでとうございます!!

 

2018年になりましたね。

 

私の地元の空からは、なんとも美しいご来光を見る事が出来ました。

 

ひかり輝いていて、ほんとに見惚れてしまいました。

 

私は今朝6時には起きて、素晴らしい時間を過ごす事が出来ました。

『こっさん』に心から感謝致します。

 

さあ、今年はどんな物語が生まれるでしょうか?

 

きっと想像もつかない、いろんな事が起きるでしょう。

 

でも、その変化こそ、「生きる」という事ですね。

 

 

また沢山悩んで、働いて、笑って、考えて、座って、時を過ごしましょう。

 

どうか、私達にとって希望に満ちた

良き1年でありますように。

 

 さて

「1年の計は元旦にあり」といいますね。

 

一日の計画は朝に立てることが肝心。
一年の計画は年の初め(元日)に立てることが肝心。
一生の計画はきちんと仕事をすることで決まる。
一家の計画(将来)は主人の生き方で決まる。

という言葉の一部が抜粋されたそうです。

 

あなたは、どんな1年の計画を持ちましたか?

 

禅的には、「いま、ここ」を生きるだけですね。

シンプルって本当に素敵ですよね。

 

私は目先の目標は無事に物語を完結することです(笑)。

 

ところで、「魂」の計というものがあるのでしょうか?

何かを計画して、成す為に私達は生まれてきたのでしょうか?

つまり「使命」と呼ばれるものはあるのでしょうか?

 

本題です。

あなたは『使命』という言葉を聞いて、どんな想いになりますか?

 

もう自分の使命は見つかっている。

使命なんて探す必要はない。

使命なんてありはしない。

使命を探し続けている。

 

きっと様々な答えがある事でしょう。

正解なんてありません。

 

私は、『使命』という言葉を聞くと20代の苦しかった感情を思い出します。

 

『使命』という言葉に、随分と翻弄されました。

 

『私の命の使い方』ずいぶんと外部に探したものです。

 

20代の前半、1年近く病気のため布団から動けず、天井を見つめながら「命」についてよく考える機会を与えられました。

 

自分の生きる目的はなんなのか?

なんのために、この命を使えばいいのか?

私に使命があるなら、命をかけてもいい。

例え、自分の寿命が数年になったとしても、使命に生きたい。

 

もし私が健康になったら。自由に動ける体になったら、

絶対に世界のために命を使うぞと決心しました。

 

体が自由になった時、この命を何に使えばいいのか分かりませんでした。

ただ生きる事では、物足りなかったのです。

 

使命を欲求する強烈なエネルギーは、私自身を焼き焦がす程でした。

 

私はエネルギーに突き動かされて

よく、本屋や図書館に行って、自分の使命を探しに行きました。

 

この本を開けば、私の使命が載っているかもしれない。

 

しかし、いくら読んでも読んでも私の使命は見つかりませんでした。

 

そして、使命を見つける事の出来ない自分自身を、ただ生きているだけの自分を、

エネルギーが私を焼き尽くす様に責めるので、とても苦しかったです。

 

 

ある時、神谷美恵子さんの『こころの旅』という本に出会いました

 

神谷美恵子さん 

1914年~1979年

作家であり精神科医です。

当時、世間から誤解と偏見に満ちたハンセン病の治療に尽力された方です。

 

私は、本を読んで、あまりに心に響くものがありましたので、神谷さんが書かれた『人間を見つめて』『生きがいについて』という本も、何度も何度も読みました。

 

それは、渇きを癒す様に、水を飲むように、ゴクゴクと飲み、私の心に浸透しました。

 

この方自身、病の苦しみを通して「生きる」という事を真摯に見つめた方です。

 

私は、この本に出会い、精神世界の扉を開いたように思います。

 

 

そして、この言葉に出会いました。

 

神谷美恵子 著 『人間を見つめて』~使命感について    みすず書房

 

※略

使命感は、それをもつ人にとってはごく自然なあたりまえなこと、さりげないことであるはずと思われる。

 

※略

 

けっきょく、私たちにできることは、何かよび声が聞こえた時に、

それにすぐ応じることができるように、耳をすましながら、自分を用意して行くことだけだろう。

 

そういう人のところに、おそかれ早かれ使命が、何かのかたちをとって、現れてくる。

 

前国連事務総長の故ハマ-ショルドはいう。

 

「使命のほうがわれわれを探しているのであって、われわれのほうが使命を探しているのではない。」

 

 

私はこの言葉に出会い、使命は私自身が探すものではないと知りました。

そうか、俺が出来る事は、準備する事だけなのかと。

もし、呼び声がかからなければ、それは、それが俺の運命だ。

 

そして

ようやく『使命』という言葉から解放されました。

 

そして『禅』に出会い、『いま ここ』に徹底する。

それこそが、『命』を輝かせるものだと気づきました。

 

未来という言葉に捉われて『いま、ここ』を見逃し続ければ、本当に『生きる』という事は出来ないのだと分かりました。

 

 

 さて、最後に。

 

あれから10数年経ちました。

 

私は自分の使命が何なのかは未だに分かりません。

不思議な事に、他者から私の使命を伝えられる事はわりとあります。

ですが、自分の実感として『これが私の使命だ!』というものはよく分かっていません。

そして、私は『使命』を探すという事を手放しています。

 

 今は目の前に与えられた事を懸命にやるだけです。

 

それで、いいのだと思います。

 

捉われは、不自由さを呼びますから。

しかし、手放なす事が出来たのは、散々追い求めたからこそ、手放せるのだと思います。

 

無駄な事なんてありはしない。

「無駄」と思う思考があるだけです。

 

『使命』なんて言葉に捉われる事はないのです。

『生きる事』ただそれだけで充分なのです。

『いま、精一杯生きる』だけです。

成功も失敗もありはしない。

『生きる事』、それこそが立派な『使命』なのですから。 

 

今年もどうそよろしくお願いします。

素晴らしい一年を過ごせますように。

 

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