わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

トリニティ物語⑤

【確信めいたモノ】

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「みんなのおかあさんに」byT

 

【トリニティ物語⑤】


引き続いております、トリニティです。

④のつづきです。

 

そんなトリニティ。

 

その質の為に社会生活、集団生活というものの中でも、

とても神経を張り詰めて生きておりました。


困る事がとても多かったからです。

 

まず

 

・対応したい事が多すぎて、やりきれない。

 

・こちらを立てればあちらが立たず、

 人の信用を失う場面が起きる。

 

・現実に聞いた事なのか、

  見えてしまった事なのかの区別がつかなくなる事が増える。

 

・気持ち悪がられる場合がある。

 

・疲れる。

 

etc、、、、。


これらに対して、

「気持ち悪がられる」については、

 ハッキリと対策をしました。

 

この質を人には

おくびにも出さない!です。

 

おくびにも出さない - 語源由来辞典

 心に秘めて一言触れず素振りにも見せない。

 

この事は、ある時期から、とても意識して徹底しました。

 

そんな中‥‥。

何故か、

中学2年生あたりから、

わたしは考えられない程に身体が弱くなりました。

 

それまでも幼い頃には小児ぜんそく、

少し大きくなったら扁桃腺による発熱、

は持病として持っていましたが、

理由なく寝込む事はありませんでした。


それが、その時期辺りから、

しょっちゅう熱を出し、原因不明で寝込む

事が増えました。


そしてそれは年を追うごとに重くなり、

大学生の頃には、月に一度は具合が悪くなり、

 

・起き上がれなくなる

・口がきけない程、チカラが出ない

・熱が何日も下がらない

・短くて1週間、長いと3週間、日常生活に戻れない


という有様になり、

人とは先の約束が出来なくなり、

学校にもまともに行けない身体となっていました。


ベッドに何日も寝付く日々。

 

やりたい事は人一倍、

人五倍にあるのに動けない自分。

 

大きな病院に連れて行かれ、

ありとあらゆる検査をするも、

原因はわからず治療が出来ないと言われるわたし。

 

両親はそんなわたしにイライラし、

わたしもつらさのあまり

なんとかして治したい」という思いから、

東洋医学、民間療法、果てには、

お祓いなどのアヤシイ手段にまで、

手を広げ、治癒を切望しました。

 

ですが、なにをしても改善は見られず、

わたしは、生きている事が益々つらく、

どうしようもない毎日を生きていました。


その不調は、

全く予測出来ない時にやって来て、

予測出来ない時に突然終わる〜の繰り返しでした。


不思議な事に、

元気な時は、本当に、

 

エネルギーに溢れ、誰よりも快活で、

いつもたくさんの友人や先輩、後輩に囲まれているのです。

 

サークルや、ゼミ、所属する仲間内ででも

気がつけば中心にいる存在で、

ひっそりと生きる事からは、程遠い環境でもありました。


ですが、【なんとかしなくっちゃトリニティ】は健在で、

いつも人を助けたくて

いつも、さみしい人に寄り添いたくて

病弱なクセに、困っている人の事ばかりを考えていました。


そして、

そうして自分が病弱になってしまった事で、

それまでは、

【こころが弱った人】

【環境がつらい人】

たちに心を向けていたわたしでしたが

 

【身体の弱い人、病気の人】

たちにも、心を向けるようになりました。


そして、

幼い頃からよくわからないなりに持ち続けて来た、

なにか

わたしががんばらなくっちゃ

という気持ちが、

 

じわじわじわじわと

使命

という意識に移って行っていたのでしょう。

 

いつからその言葉を持ち始めたのかは、

定かではありませんが、

 

いつしか

たくさんの人の

おかあさんになりたい。

この世界から、

さみしい人、悲しい人を

1人でもなくしたい。


そう、

こころに志を持つようになっていました。

 


それと同時に、
わたしには10代の後半あたりから、

「この世のどこかに、必ずわたしと全く同じ質を持ち、

 わたしと同じ志を持つ、

 わたしを1ミリも違わず理解してくれる

   パートナーがいてるはず」

 

という、なにか、確信めいた感覚が現れるようになり、

その人

と、出会いたくて、

出会いたくて、いつも探しているーーー


そんな状態が続いていました。

 


人の事は、少し話せばわかります。

その人がどんな質なのか、

 

どんなタイプなのか、

 

なにを軸に生きてる人なのか、

 

魂の色は何色なのか。


たくさんの人を見ました。

 

たくさんの人に接しました。

 

たくさんの人と交流を持ちましたが、

 

女性にも男性にも、


先生にも友達にも、


先輩にも後輩にも、


わたしが

 

‼️


と、

思える人、

 

感じられる人、

 

そして、

 

見上げれる人、


は、

 

わたしの

世界には居ませんでした。

 

つづく

 

 前回の物語を読む方は  

トリニティ物語④ - わたしからあなたへ

 次の物語を読む方は

トリニティ物語⑥ - わたしからあなたへ

 

「あなたへ」

 

たくさんの痛みや、

 

たくさんの悲しみは、

 

とても孤独で苦しい事です。

 

出来たら避けて生きてゆきたいものです。

 

しかし、

 

その道を通ったからこそ、

 

その他者の痛みが、

 

悲しみが、孤独が、

 

まるで我が事の様に感じる事が出来ます。

 

 痛みの中にある者は、

 

その相手の優しさが、

 

上辺だけのものなのか?

 

真心から出たものなのか?

 

一瞬に真贋を見抜きます。

 

これは私自身の経験によるものです。

 

その悲しみを経た者しか、

 

触らせない、

 

救えない悲しみというモノがあると感じています。

 

同じ傷を抱えた者同士が出会った時、

 

時に言葉は不要で、

 

その眼差しで理解しあう事もあるでしょう。

 

これが示している事は、

 

私達の今の悲しみが、

 

苦しみが、

 

いつかの誰かの傷を癒す可能性があるという事です。

 

もしかしたら、

 

少し遠い未来、

 

あなたの力を必要としている、

 

傷ついた命を癒すために、

 

神さまはあなたに、

 

『何か』を、

 

託しているのかもしれません。

 

その痛みは、

 

無駄なんて事はなく、

 

とても大切な大切な、

 

意味があるのかもしれません。