わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

天河神社奥宮 弥山の旅(2)

「出発」トリニティ編

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 「待っていたよ」byT

 

前回の物語↓

sintamsc.hatenablog.com

 


新川合トンネルを出て、

 

天川村に入った頃には、

 

既にしんちゃんの顔は険しくなっていました。

 

それまでは、ほぼ普段と変わりのない運転スタイルで、

 

ハンドルを握っていたしんちゃん。

 

「それでっ?!

 

 川合の交差点はどっち?!左曲がるの?」

 

明らかにピリピリ濃度は上昇されておるご様子にて、

 

わたしに問われた、その頃には

 

しんちゃんは、上半身はハンドルに近付き、

 

ハンドルを抱え込むような

 

いつもの前のめりの姿勢となっておられました。

 

これは、この方の緊張の時のスタイルです。

 

外からの風はまだひんやり、

 

そして、車内の空気もまた、ひんやり(笑)


しんちゃんには苦手な運転、

 

しかも、このような厳しい道、

 

登山口まで、頑張ってもらうことになるので

 

わたしは、そのサポートに努めよう。

 

しんちゃんのメンタルの消耗を最小限に抑えれるよう・・・。

 

そんな風に、わたし達は

行者還トンネル入り口を目指しておりました。

 


それにしても‥‥

 

ようやくです。

 

ようやく、弥山に登ることが出来るのです。

(無事しんちゃんがたどり着いてくれれば)


思い起こせば、ここまで様々なご縁をいただいてきた

 

神社めぐりの原点は3年前の厳島神社でした。

(住吉大社は別枠です)

 

あの日、厳島の地にて

 

えもいわれぬ安らぎと、

 

えもいわれぬ心地よさに、

 

いつまでも居たい、と思うた不思議‥‥。

 

そこにも弥山があり、

 

当時は完全に観光スタイルで出向いていたゆえ、

 

登山は断念し、

 

空海さんの火の所までをロープウェイで

 

登るしか出来なかったあの日、

 

「いつか、また再来し、この山に登りたい」

 

と、当時まだ弁財天様がどう、とか

 

知りもしないながらも、

 

強くこころに思うた不思議‥‥。


しかしその弥山より、

 

まさかに、先に登ることになった

 

天河神社奥宮の弥山。

 

厳島神社から時を経て、去年から、

 

この弥山に登る事は、わたしにとっては

 

何か、とても、大切で、

 

必ずや成し遂げなくてはならない

 

何かひとつのシメになる神ごと

 

として、

 

こころに幾ばくかの緊張感と共に常に置かれてきたものでした。

 

この弥山に登らなければ、到達できない。

 

いや、

 

むしろ。

 

始まらない。

 

なんだか、そんな想いがずっと

 

ほたるの光のように、

 

決して強い熱量ではないながらも、

 

やわらかく点滅をし、

 

いつもその存在を忘れさせられないようにされている

 

‥‥〜天河弥山とはなにかそんな対象でした。

 


わたしにとって、天河弥山に登るということは、

 

天河神社の奥宮、つまり、

 

ほんとうの居場所におられる弁財天さまに

 

お目見えに伺う〜〜という、

 

とても大事で必要かつ重要な行為に思えておりました。


この人生で、

 

何かしらの意味があるのであろうしんちゃんとの出会い。

 

そのいのち、魂、と言いましょうか

 

その存在に引き合わせてくださった、

 

この天河大弁財天社さま。

 

どうして出会ったのか。

 

何の意味があるのか。

 

この出会いによって、

 

わたしはこの世界で成せるナニカにたどり着けるのか。


まだよくわからないこの神さまによる不思議な出会いのはじまりは、

 

やはりあの厳島神社と言えるかもしれません、し、

 

それを更に遡る禅との出会いと言えるかもしれません、し、

 

それを更に遡れば、

 

それは我が子があの年に生まれたことに遡るのかも、しれません。


どこまで戻れば、その原因にたどり着くか〜〜となれば、

 

それはこの世に生まれ落ちた時、となってしまうでしょう。

 

でも、結局、その起点がどこであれ、

 

わたしは距離や環境を大きく超えて、

 

しんちゃんに

 

天河大弁財天社で、出会った

 

事は、まぎれもない事実。

 

わたしは、わたしの導かれのモト、

 

しんちゃんは、しんちゃんの導かれのモト、

 

同じ日に、同じ場所、同じ役目で、

 

天河大弁財天社へと、運ばれました。

 

この、とても不思議なご縁をいただいた天河大弁財天社さまに

 

何度も参らせていただきながら、

 

その奥宮にご挨拶に参れてないことは、

 

しんちゃんとの不思議が積み重なって行く中で

 

「参らなければ。登らなければ」

 

という想いとして、自然、

 

日に日に強く湧いて来ておりました。

 


ココにご挨拶に行けてこそ、

 

やっとシメれる。

 

いや、

 

やっと、始めれる。

 

のか。


なにか、そんな感覚でした。

 

とは言え、

 

そんな感慨にふけるよりも、

 

隣で手に汗握るドライビングを繰り広げている

 

しんちゃんへのサポートに、

 

わたしも、なかなかの

 

精を使っていた行き道。


気が付けば、突然に道が開け、

 

無事、行者還トンネル入り口へと

 

到着することが出来ました。

 

その車内で、

 

登頂したかのように、やり切った感に満ち、

 

狂喜するわたし達がいたことは

 

ぜひ、ご想像をされて、

 

ふふふ、と微笑ましく笑ってやってください。

 

それは、

 

本当に大変なのはこれからなことを

 

全く、想像もしていなかった

 

2人でした。

 

 

つづく

 

 

 前回の物語を読む方は↓

天河神社奥宮 弥山の旅(1) - わたしからあなたへ

 

物語の続きを読む方は↓

天河神社奥宮 弥山の旅(3) - わたしからあなたへ

 

「あなたへ」

 

・・・

 

・・・

 

すんません・・・

 

いろいろ気を遣わせていたようですね。

 

ハァー・・・

 

俺って奴は・・・

 

 

さて、

 

気を取り直して・・・。

 

 

これは抽象的な話ですが、

 

生きるって事は、

 

特に働くって事は、

 

否が応でも、

 

自分に対して、

 

矢(※)は降り注いできます。

※は批判・失敗・不都合などの意

 

その矢を全て避ける事は、

 

まず不可能でしょう。

 

私はつい最近まで、

 

その矢に当たらないように、

 

背中を向けたり、

 

隠れたりする事も多かったと思います。

 

しかし、

 

その様な対応をしても、

 

結局、

 

矢は確実に心に刺さっていました。

 

それは追って来るのです。

 

どこまでも。

 

そして、

 

それは、とても恐ろしいものでした。

 

 

思考錯誤ではありますが、

 

私は矢が向って来る事に、

 

背中を向けるのではなく、

 

正面を向いてみました。

 

結局、

 

矢は心に刺さるのですが、

 

その痛みは、不思議な事に、

 

背中で受けるよりマシなのです。

 

痛いのです。

 

しかし、恐ろしくはないのです。

 

いや、恐ろしさはある。

 

けれども、

 

背中を向けるより、

 

マシな気がするのです。