わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

臨済録⑨

 

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  「臨済義玄」by曾我蛇足

  

臨済の目が開き、

 

大愚和尚のもとを離れ、

 

師の黄檗にもとに戻ります。

 

 

目覚めた後の臨済と黄檗の関わりも、

 

大変面白いエピソードに満ちています。

 

またいつかご紹介をします。

 

さて、

 

今日は目覚めた後の臨済の言葉をご紹介します。

 

時は流れ、臨済が人々を導く師となり、

 

修行者達に向けた言葉です。

 

徹底的な自己への信頼。

 

臨済を象徴するような言葉です。

 

 

入矢義孝訳注 岩波文庫

臨済録 示衆より引用 現代語訳

 

そこで師は言った、

 

「今日、仏法を修行する者は、

 

 何よりもまず正しい見地を掴むことが肝要である。

 

 もし正しい見地をつかんだならば、

 

 生死につけ込まれることもなく、

 

 死ぬも生きるも自在である。

 

 至高の境地を得ようとしなくても、

 

 それは向こうからやってくる。

 

 諸君、いにしえの祖師たちはみな、

 

 越え出させる導き方を心得ていた。

 

 今はわしが君たちに言い含めたい事は、

 

 ただ他人の言葉に惑わされるなと言う事だけだ。

 

 自力でやろうと思ったら、

 

 すぐやることだ。決してためらうな。

 

 この頃の修行者たちが駄目なのは、

 

 その病因はどこにあるか。

 

 病因は自らを信じきれぬ点にあるのだ。

 

 もし自らを信じきれぬと、

 

 あたふたあらゆる現象についてまわり、

 

 すべての外的条件に翻弄されて自由になれない。

 

 もし君たちが外に向かって求めまわる

 

 心を断ち切ることができたなら、

 

 そのまま祖仏と同じである。

 

 君たち、その祖仏に会いたいと思うか。

 

 今わしの面前でこの説法を聞いている君こそがそれだ。

 

 君たちはこれを信じきれないために、

 

 外に向かって求める。

 

 しかし何かを求め得たとしても、

 

 それはどれも言葉の上の響きの良さだけで、

 

 生きた祖仏の心は絶対につかめぬ。

 

 取り違えてはならぬぞ、皆の衆。

 

 今ここで仕留めなかったら、

 

 永遠に迷いの世界に輪廻し、

 

 好ましい条件の引き廻すままになって、

 

 驢馬や牛の腹に宿ることになるだろう。

 

 君たち、わしの見地からすれば、

 

 この自己は釈迦と別ではない。

 

 現在のこのさまざまなはたらきに何の欠けているものがあろう。

 

 この六根から働き出る輝きは、

 

 かつてとぎれたことはないのだ。

 

 もしこのように見て取ることができれば、

 

 これこそ一生大安楽の人である。」 

 

 

 つづく