「紫」by GAHAG
神の恵みはどの存在にも降り注いでいるが、
その恵みを受けとれるかどうかは、
「神」のせいではなく、
受け取る存在の「質」にかかっているという事。
その存在の質によって、
受け取る内容(反射する色)が変わってゆく。
矛盾するようですが、
受け取る(存在の表現)とは、
世界に光を還元させるという事。
続きです。
もう一度整理してみます。
光は全ての色を含んでいる。
しかし、
人からは「白い光」としてか認識できない。
光の色=あらゆる豊かさ
とします。
その豊かさを、受け取れるかどうかは?
光を受け取る存在の質によるという事。
つまり、
その光の全ての豊かさを受け取れる、
存在の質もあるでしょう。
何一つ受けてとれない存在の質もあるでしょう。
今回は「受け取る」という事にフォーカスしてみます。
例えば、「赤いバラ」は、
太陽の光の色の一部である「赤色」を、
反射した結果のために、
赤色になります。
赤色のバラは、
人々に特別な感情を与える程の存在感を放ちます。
その表現した色合い故に、
世界に影響を与えています。
赤いバラ自身が「赤色」である事で、
どの様な影響を受けとめているかは分かりません。
しかし、
バラ以外の存在から見れば、
そのバラは赤い色である事を、
何より明確に存在し、その色を湛え、
充分に受け取っていると認識するでしょう。
たとえを変えます。
「私」は天の光から、
「温かな優しさ」を受け取りました。
私は天から与えられた「温かい優しさ」を味わうと同時に、
世界に対して「温かい優しさ」を反射(与える)するはずです。
つまり、
①与えられたものだけが、受け取る事が出来るという事。
(光がなければ、色は表現出来ないという事)
②受け取る事が出来るかは、その存在の質による事。
(受け取る存在が、その光の質を反射出来る質を持つ事)
③受け取れるという事は、反射(与える)するという事。
受け取る=与える事
言葉を変えてみれば、
自分の存在以外に、
与えられるという事が、
すなわち、
自分が受け取ってるものという事です。
どうも、これが理の一つで在るという事です。
うーん、
説明って難しいなあ。