『生きる意味を問うなんて』~さようならカルカッタ
「生きる意味を問うなんて」by M
私は、マザーテレサのボランティアを終えたので、それを一区切りとしカルカッタを立つ事に決めた。
カルカッタ・・・。すごい街だった。
私の『何か』を変えてしまった。
こんなにも、命のエネルギーに溢れている街、貧困も富豪も動物も何もかも包括している街を私は知らない。
貧しい人も物憂げな様子などなく、自分がするべき事を懸命にやっていた。
『なぜ生きる?意味は?」という問いに、現地の人から、
意味を問うなんて、よっぽどお暇なんでしょうね?。
そんな無駄な思考に付き合っている暇なんてない!!
俺にはやる事があるから、くだらねー事考えていないで、そこをどけ!
と言われているような気がした。
堂々と誰もが生きているように感じた。
裕福な日本より、ずっと『命を生きてる』と感じさせる何かがあった。
それは、貧困も裕福も超えた何か。
それは何だろう??
インドのおとうさん、おかあさんは、私にとても親切にしてくれた。
とても、書ききれない沢山の思いやりと優しさを頂いた。
私のあまりの無謀(愚か)さを心配したために、おかあさんはダージリンに向かう列車の手配なども事前にして下さった。
おかあさん
『いいかい?ぼうや。この日に乗るんだよ。その意味が分かるかい?』
私
『うん、分かるよ。』
出発する日は、お父さんが列車の席まで同伴してくれた。
そして、小学生低学年に伝えるように、私に向って言った。
おとうさん
『いいかい?ぼうや?ここだ、この席に座りなさい。言葉の意味が分かるかい?』
私
『ウン。これなら、わかるよ!!ぼく。』
と魂の小学生(本来のわたし)は答えた。
※脚色してます。
8/6 PM11時 寝台列車で書いた日記にはこう書いてある。
「カルカッタはすごかった。今日でお別れだ。ありがとう、とうちゃん、かあちゃん。たしかに俺は何かに守られている。感謝して眠ろう」
私はインドのおとうさんとおかあさんを今でも忘れないよ。
元気にしてるだろうか??
翌日
ダージリンに向かう列車は、明日の朝8時に到着するとの事だった。
しかし、1時間経っても、2時間経っても、3時間経ってもまだ着かない。
列車は駅でもない、何もない場所でよく停まっていたのだ。
私は、故障か何かしたのか?と慌てふためいたが、
周囲のインド人は何事もなかったような顔をしていた。
結局4時間遅れで「New jal paigurli」に着いた。
乗客は誰も遅れた事に対して、抗議をしていなかった。
インドスゲーな!!
4時間って。日本じゃ重大なニュースとして流れるわ。
乗客から抗議が殺到するわ。
こんなにも、考え方が違うのだ。
世界は多様性に満ちていて俺は嬉しくなった。
駅に到着し、
帰りの電車のチケットを予約した方が良いとは思ったのだが、
チケット売り場の人の多さ(買い方が理解できない)と
予定を決めてしまう事が嫌で、チケットは買わなかった。
駅から降りると、青い空だった。
『おー気持ちのいい空だ!!しかし暑いな!』
私は空を見上げて、ダージリン行きのジープを探した。
つづく
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『あなたへ』
カルカッタまた、行きたいな。
そう、『多様性』。
カルカッタは多様性の街だ。
その言葉がふさわしいと思いました。
子供に見せてあげたい風景です。
人が生きるという事。
いろんな人生がある事。
いろんな生き方があっていい事。
今見ている、日本の生き方は、数ある中の、たった一つでしかない事。
それを、言葉ではなく、体験として感じてほしいと思います。
でも最近治安が悪いと聞いています。残念です。
昨日、学生時代の人生の師匠から、「ブログ見てるよ、応援してるよ。」と久しぶりに連絡を頂きまして、嬉しくて鼻血が出そうでした。
さあ、今日は仕事も頑張れそうです。
あなたも元気で!!
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