わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

臨済録⑧

 

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  「臨済義玄」by曾我蛇足

  

 

入矢義孝訳注 岩波文庫

臨済録 行録より引用 現代語訳

 

師が暇乞い行くと、黄檗は言った、

「そなたはよそへ行くことはならぬ、

 高安灘頭の大愚のところへ行くがよい。

 きっとそなたに説いてくれるだろう。」

 

師は大愚の所へ行った。

 

大愚「どこから来たか。」

 

「黄檗のところから参りました。」

 

大愚「黄檗はどんな教えをしておられるか。」

 

「私は、三度仏法の根本義を問うて三度打たれました。

 

  一体私に落ち度があったのでしょうか。」

 

大愚「黄檗は、それほどの老婆のような心遣いで

 

  お前のためにくたくたになるほど

 

  計らってくれているのに、

 

  その上私のところまでやってきて、

 

  落ち度があったかどうかなど聞くのか。」

 

そう言われて師は言下に大悟して言った、

 

「ああ、黄檗の仏法は端的だったのだ。」

 

大愚がいきなり師をひっつかんで言った、

 

「この寝小便たれ小僧め!

 

 たった今、落ち度があったのでしょうか、

 

 などと泣き言を言ったくせに、

 

 今度は黄檗の仏法は端的だなどと言う。

 

 一体何がわかったのだ。

 

 さぁ言ってみろ!さぁ言ってみろ!」

 

師は大愚の脇腹を握りこぶしで三度突き上げた。

 

大愚は師を、突き放していった、

 

「そなたの師は黄檗和尚だ。

 

 私の知ったことでは無い。 」

 

 

仏法の神髄とは、

 

 

問いを発しているお前のそのものだ!

 ※これはあくまで私の解釈ですので、

確実に誤っている可能性が高いのであしからず。

 

 

ついに臨済に目覚めが起こりました。 

 

臨済の変容です。

 

 

その変化を見て取った大愚和尚は、

 

その理解が本物であるかすぐに確かめます。

 

大愚がいきなり師をひっつかんで言った、

 「この寝小便たれ小僧め!

 たった今、落ち度があったのでしょうか、

 などと泣き言を言ったくせに、

 今度は黄檗の仏法は端的だなどと言う。

 一体何がわかったのだ。

 さぁ言ってみろ!さぁ言ってみろ!」

 

この問答は如何にも禅的です。

 

黄檗も激しければ、

 

大愚和尚も激しい事(笑)

 

 

いい時代だなあ・・・

 

本性丸出しで羨ましいなあ・・・

 

 

「さあ、一体何が分かったのだ!!」

 

と一瞬の思考の隙も許さぬ対応です。

 

「さあ言ってみろ!さあ言ってみろ!」

 

と追い込む様に臨済に詰め寄ります。

 

おそらく、それが狙いなのだと思われます。

 

 

知の理解なのか、

 

真の理解なのかを大愚和尚は確認したのでしょう。

 

 

真の理解であれば思考よりも早く、

 

反射的に対応するはずですから。

 

 

そして、

 

変容した臨済は見事に対応します。

 

大愚和尚の腹を、

 

3回ぶん殴って!!

 

という表現を持って仏法の真髄を表現します。

(殴る事と仏法は関係ないですよ)

 

目覚めた臨済の荒ぶりっぷり(笑)

 

 

その臨済の応答に、

 

真の理解を認めた大愚和尚は、

 

大愚は師を、突き放していった、

 「そなたの師は黄檗和尚だ。

  私の知ったことでは無い。 」

 

 

もーう!!

 

大愚和尚のカッコいい事よ!

 

臨済を目覚めさせたのは、

 

まさしく大愚和尚との問答がきかっけでしょう。

 

しかし、大愚和尚は、

 

己の手柄としないのです。

 

もう、

 

どいつもこいつも

 

かっこいい男ばっかりです(笑)

 

 

臨済の目醒めの機縁は、

 

確かに大愚和尚です。

 

き‐えん【機縁】

1 仏語。教えを求める資質が、教えを説くきっかけとなること。
2 ある物事が起こったり、ある状態になったりする、きっかけ。縁。

 

しかし、

 

機縁に至ったのは、

 

黄檗の元での修行があったからに他なりません。

 

そこでの修行で機が熟されていったのです。

 

 

大愚和尚はあくまで、

 

きっかけ(縁)であって、

 

臨済の目覚めを、

 

ここまで育て上げた黄檗の功績として譲るのです。

 

大愚は師を、突き放していった、

「そなたの師は黄檗和尚だ。

 私の知ったことでは無い。 」

 

但し、

 

激しい愛の言葉ですが(笑)

 

 

つづく