「知らなかったレインボー」by S
子供という存在は優しいなと思います。
人間としての自然に持っている優しさ。
物事を受け入れる器。
私は到底かなわないと実感します。
意地悪だったり、
喧嘩したり、
ズルしたり。
そんな事は日常にある。
でも、それとは別の質です。
その質において、
あきらかに私は負けているなと実感します。
子供は、親としての能力がない親でさえ、
親として信じるほかない。
それしかない。
それは子供にとって恐ろしい事でもあります。
しかし、比較も逃げ場もない子供にとって、
その状況をただ素直に受け止めるしか術がありません。
美しい瞳で、
身体は大きいだけの人間の所業を見つめ、
心に全てを取り込んでゆきます。
どんな所業であろうと、
子供は寄り添おうと歩み寄るのです。
その無垢さは、
大人(身体は大人)にとって、
優しい気持ちを生み出す事もあれば、
己の弱さも生み出しやすくもなります。
親という存在は本当に大きな影響力を持っています。
それは、当たり前の様で、
とても理不尽な世界のように思います。
私はよく子供達に、
土下座して謝りたくなります。
私はポンコツ人間ですから。
子供に対して、
自分の弱さや甘えを自覚した時、
その子供の小さな手で、
私の頭をひっぱたいて欲しくなります。
その慈愛の手で、
そのやさしい手で、
このどうしようもない存在(私)を、
叩き壊して欲しくなります。
実際、
「お父さんの頭を叩いてくれ」
と言っても、
子供は顔を横にふり、
私の頭を撫でてくるのですから。
そんな時は、
私は完全にノックアウトです。
今日も小さな手で、
一生懸命頑張ったな。
ありがとな。
俺もポンコツながらも、
頑張ったよ。