わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

悲しみ

f:id:sintamsc:20190912222542j:image

 「十字架を運ぶキリスト」by アンソニー バン ダイク (GAHAG) 

 

 

昨日は、「怒り」について書きました。

 

「怒り」の目的は「破壊」と私は捉えていますが、

 

怒りの感情の時、もう一つの感情が私には流れています。

 

それは「悲しみ」です。

 

 

相反する様な感情の様に見えますが、

 

「怒り」の根源にある感情は、私の場合「悲しみ」です。

 

 

「あなたの怒りは、悲しみが根底にある」と、

 

トリニティは、私の怒りの「質」を正確に捉えていました。

 

 

私は悲しくて、悲しい故に、怒るのです。

 

悲しさが極に達すると、

 

「怒り」という表現が生まれます。

 

そして、「怒り」という暴力的な感情を味わいながら、

 

同時に悲しみという感情に満たされています。

 

 

悲しい

 心が痛んで泣けてくるような気持ちである。嘆いても嘆ききれぬ気持ちだ。

 

 

悲しいという感情は、感情の中でも特別な感覚があります。

 

 

悲しい時、胸が痛んだり、

 

心が傷ついたりする感覚が実際に顕著にあるからです。

 

 

そんな時、

 

一体「何」が傷ついているのだろうか?と思います。

 

 

「心」は目に見ませんし、

 

ただの概念の様にも思います。

 

あるようで、ないような、

 

とても不思議なものです。

 

しかし、人は悲しい出来事を感受して、

 

「何か」は確かに傷つきます。

 

その「何か」は「心」と呼ばれます。

 

 

悲しい時、

 

見えない「心」の存在を明確に感じます。

 

 

人の悲しむ姿。

 

特に幼い子が流す悲しい涙は、

 

私は特別に心が揺さぶられてしまいます。

 

出来るなら、笑顔を見ていたいものですが、

 

幼子の悲しい涙は、

 

私は不遜ながら「美しさ」を感じる事があります。

 

 

それは「純度」という事かも知れません。

 

悲しみをただ純粋に悲しむ姿。

 

 

それは宇宙が泣いているような感じを受けるからです。

 

 

小さな人間が泣いてるのではなく、

 

私達を生み出した宇宙自身が泣いてる様に感じるからです。

 

 

人は成長するにつれて、打算や思考が優位になり、

 

命の純度が失われ宇宙的存在から離れ、

 

人間になる様に思います。

 

 

悲しむというのは、

 

感情の中でも何か「特別」なものと感じるのです。

 

 

悲しみの感情は、

 

その他の感情よりも強い影響力があります。

 

強く自身に影響を与え、

 

長く記憶にも保管されます。

 

 

悲しみの感情というのは、

 

あらゆる状態の根源なのかもしれません。

 

悲しみを経て、

 

怒りにも、

 

優しさにも、

 

愛にも、

 

強さにも、

 

弱さにも、

 

嘆きにも、

 

恨みにも、

 

変化するからです。

 

 

どの状態に変化させるかは、

 

全てその人の在り方次第です。

 

 

怒りに包まれている人がいたら、

 

その人は「悲しさ」に捉えられてしまった、

 

ただただ悲しい人なのかもしれません。