わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

自由という事①

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「世界」byichan

 

 

時々、やっぱり言葉を書きたくなります。

 

好きなのでしょうね。

 

書くという事が。

 

 

自然に湧き上がるので、

 

私にとって無理がないのでしょう。

 

 

何も与える事は出来ないと知っていても、

 

書くのですから我ながら大した度胸です(笑)

 

 

それは「自由」の現れの一つでしょう。

 

 

 

今日、こんな事がありました。

 

 

夕食後のシーンです。

 

坊主が机の上に座った際に、

 

テーブルに置いてあったコップが倒れて、

 

お茶がこぼれました。

 

私は反射的に、

 

「そんなトコに座るからだ!タオルもってこい」

 

 と怒るよう伝えました。

 

 

正確に分析すると、

 

反射的にではないのかもしれません。

 

1秒も満たない時間の中で、

 

怒りを選択した自分を見つめていた気もするからです。

 

その言葉を伝える時、私は、

 

怒りの感情と罪悪感に似た悲しみを感じていました。

 

 

坊主が哀しそう顔をしながら、

 

タオルを持ってきて机を拭きました。

 

 

私はその光景を見て、

 

先ほどの感情が増幅されました。

 

私は自分と坊主を傷つけたのです。

 

 

私は怒りを弱き者にぶつけ、

 

そのエネルギ―が解消された後、

 

ようやく坊主に謝りました。

 

「怒る必要なんてなかったよな、

 

 教えてあげれば良かっただけなのに」

 

大人って本当にずるいよな。

 

子供にとって怒りは暴力。

 

一番手っ取り早く、支配する。

 

俺が悪かった。

 

 

さて、本題です。

 

コップを倒して、

 

水をこぼす事は許されない事だったのか?

 

という事です。

 

 

私は、

 

机に座わる事はダメ。

 

お茶をこぼす事はダメ

 

その後始末がメンドクサイ。

 

この3点が私の心の内にある事で、

 

怒りを覚えたのです。

 

つまり、私の信念と言ってもいいでしょう。

 

 

その信念が現実的に崩された事に腹が立った。

 

その信念がなければ、

 

私に怒りの感情は生まれず、

 

淡々と対応し、アドバイスを伝えた事でしょう。

 

 

本質的な怒りはの原因は、

 

外部的要因ではなく、

 

私の心の中にあったという事です。

 

 

これは道徳の話ではありません。

 

本質的な話をしています。

 

 

何がいけないのでしょうね?

 

机に座ったら。

 

お茶をこぼしたら。

 

こぼしたら、拭けばいい。

 

自分だって何度もこぼしたはずだろ?

 

 

それらは社会生活という名の、

 

礼儀、マナー、ルール、教育、躾という信念体系。

 

それに反した事で、浴びせられた、

 

怒り、暴力、罰、恥。

 

私もそうされて来た。

 

そうされた相手はそれを習得し、

 

次の未来に無自覚のまま渡してゆく。

 

 

無自覚な信念は、

 

自分や他者を確実に苦しめるのです。

 

 

悩み大きな私は、

 

恐らく多くの信念体系があるのだと思います。

 

怒りや、悩みは、

 

己の信念体系が崩される事に原因があるため、

 

この世界においては、崩され続けるからです。

 

 

何故ならば、この現世界は、

 

あまりの自由に満ち満ちているからです。

 

つづく。