「信じたくない」
「陰になって初めてみえる事」byS
信じるという言葉があまり好きじゃない。
その言葉は私にとって怖い事だから。
信じるという言葉の中には、、
「疑い」
と
「期待」
が私にすれば包括されている言葉だ。
あらゆる言葉についての、
捉え方や概念は人それぞれであり、
本質的に共通認識を持つ事は困難だ。
特に「信じる」という言葉については、
なおさら難しく感じる。
これから書く事は、
共感を得たいのではなく、
混乱した思考のまま、
あくまで自分自身の整理の為に。
ここ数日間。
私の中で「信じる」というテーマが、
何度も想起されている。
私は生きるために、
「信じる」という事に対して、
この数十年距離をとっていた。
いや、むしろ避けてきた。
信じるという事の代わりに、
思考や判断を伴わない、
ただあるがままを知る・認識するといった、
禅的な思考で世界を見つめてきた。
「信じる」と表明した事もあるが、
心の奥底では葛藤を続け、
整理がついていないままだった。
私は今、人生という旅を続ける中で、
「無常」というものを見つめている。
しかしながら、
不思議なもので、
もう一度、
「信じたい」
という気持ちが湧き出している事を認めた。
つづく
「あなたへ」
最近、長女と長男の争いが激しくなっています。
戦は長期化しており、
お互いが相手が如何に悪いかを、
オジサンに言いつけてくるので
間に入るのが非常にメンドクサイです。
長女は大人として変化が始まり、
精神的にやや不安定。
今までは喧嘩をしても、
5分後には笑い合ったりする事が多かったのですが、
貞子の様に怨念を湛えたまま、
数時間過ごす事も増えました。
このままでは、まずい!
と思ったオジサンは、
これを3000円台で購入しました。
まあ、私の趣味を兼ねて。
これを装着して、
チビ達は暴言を吐きながら、
ストレス解消を図っています。
「うおー!!」
という絶叫と、
バンバン!!
という打撃音が6月の夜に響き渡ります。