「空海」by Pixabay
空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお[1])[2]。日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭(へきとう)に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。
<性霊集 巻第七>
弟子空海
性熏(しょうくん)我れを勧(すす)めて
還源(げんげん)を思いとす。
経路(けいろ)未だ知らず
岐(ちまた)に臨(のぞ)んで幾たびか泣く。
精誠感(せいせいかん)ありて
此の秘門を得たり。
文(ぶん)に臨(のぞ)んで心昏(しんくら)く
赤県(せっけん)を尋(たず)ねんことを願う。
<現代語訳>
弟子であるわたくし空海は
自分に具(そな)わる仏性をはげまし
すべての知の根源に至る道を探してきた。
しかし、その求める道が見い出せずに
道にさ迷い、幾たび泣いたことか。
するとわたくしのまことの心が通じて
『大日経』の経典に出会った。
しかし、その教えを学ぶには高度の梵語力と儀軌の
修得が不可欠であったので
中国に留学することを決意した。
私が感銘を受けたのは、
すべての知の根源に至る道を探してきた。
しかし、その求める道が見い出せずに
道にさ迷い、幾たび泣いたことか。
という言葉です。
あの超人空海さんですら、
命の本質を知る旅路(真理の探究)で、
何度も迷われたのです。
そして、何度も泣いたというのです。
その言葉は衝撃でした。
不思議なもので、
人の正直な弱さの表出は、
時に人々に勇気を与えるのですから。
あの空海さんですら、泣いたのだ。
そんな事を知れる事で、
凡夫である私が道に迷って泣くなんて、
それは、必然だと理解出来ます。
そして、
「さあ、涙をふいて、
立ち上がろう。」
と思えるのです。