これは備忘録である。
人生は不思議な事で満ちている。
令和2年 7月18日
令和2年 7月21日
そういえば、去年
雷にまつわる印象的な出来事があった。
雷の意味ってなんだ?
と数日考えすっかり忘れてた。
数日前、去年の雷の意味が繋がった。
まじか・・・・。
雷の意味 大きな変革。
そう、確かに。
それは起きた。
想像以上に。
そう確かに変革は起き、
俺は今、
まったく新しい人生を生きているからだ。
さて、物語は本当は続きに続いてる。
これは鹿島神宮に至るまでの備忘録だ。
メモとして残しておく。
いつかまた物語の続きを書こうと思う。
令和3年
①9月5日
私にとってはこの日は特別な日。この旅の始まりである、なっちゃんとの別れの日がこの日。
前日から天川の弥山に登る。山小屋で一泊。
早朝、弥山神社の鳥居で、野生の鹿の親子、三匹が、こちらをじっと見てから通り過ぎた。
まるで、もののけ姫のシシガミ様の登場の様に神秘的だった。
慌てて写真を撮った。
参拝後、先ほど真反対の場所で朝日を見るために朝焼けの景色を見てると、再び先程の鹿3匹が、こちらをじっと見つめて立ち止まってから通り過ぎる。
何かを伝えてるように感じたが、私には分からなかったが、かなり印象に残った。
②秋分の日 9月23日
戸隠神社に参拝 御神籤をひいた。
『鹿島の大神を信心すべし』
と出る。
この時は、何の神様か分からなかったが、茨城県にある鹿島神宮のご祭神、武甕槌タケミカヅチという事を知る。
③10月23日
松平東照宮にて、カモシカが目の前で止まっていた。
妙な神々しさがあり息を呑んだ。
鴨鹿。カモシカといえど、また、鹿に関わってる様な気がした。
初めて生で見た。
そういえば天川でも鹿を見た事を思い出した。まあ鹿という字が入っているだけか。
鹿はどの神様の使いなのだろうか?調べようと思っていたが、すっかり忘れて調べなかった。
④11月4日
地元との本屋で目的の本を探していると、私の目に入ったのが、
鹿島神宮のカレンダーだった。
確か戸隠のおみくじで引いた神様がいる鹿島神宮。
一般的に伊勢神宮や出雲大社なら分かる。しかし、よりによって鹿島神宮とは。
何かザワザワと心の中に強く感じ始めた。
※後で調べるとこのカレンダーの制作した会社は鹿島神宮のカレンダーは、この年だけの制作のみだった。
⑤11月4日
夜の帰り道。
家に到着まで後五分といういつもの道路が突然渋滞し始めた。何だ事故か、面倒だと思い、目の前の車がようやく障害物を避けたと思ったら出てきたのが、
野生の鹿!
20年近く住んでいて野生の鹿にこの町で会ったことはもちろん一度もない。
しかもこの至近距離。
鹿、鹿、鹿。
もう、さすがに、なんだこれはと怖くなった。
家に帰って、真剣に調べた。
「神鹿(しんろく)」
鹿は神様の使いといわれている。
茨城県常陸にある鹿島神社では鹿は「神鹿(しんろく)」と呼ばれ神様の使いとして大切にしています。その理由は古事記の中の記述にあり、神様の使いとして鹿は縁起がいいといわれるようになったといえるでしょう。
鹿島神社の御神霊は武甕槌命(タケミカヅチノカミ)。この神様のもとへ天照大神(アマテラスオオミカミ)の命令を伝えに来たのが鹿神である天迦久神(アメノカクノカミ)であったということが由来。
鹿島神宮、武甕槌。
これはさすがに・・
行かなければと思ったが、仕事も忙しい中、400キロ越えの距離は遠過ぎる。
一泊する必要があるので、みんなの都合に合わせた日程が作れるか分からず、保留にしていた。
⑥11月23日 新嘗祭。
この日も特別な日。私が意を決してブログを公開した日。また出雲大社にも初めて行った日。
私はこの日を忘れていたが、トリニティがみんなの都合を合わせて行けるとするなら、23日は?と言われ、特別な日であった事を思い出し、この日に決定した。
11月23日に無事鹿島神宮に至る事が出来た。
⑦番外編
2016年10月5日に名前も知らなかった天河神社とい名前を何度も夢の中で聞いた。その週末に行った10月9日の天河神社では、重陽の節句のご神事が行われていた。
本殿では多くの人がすでに集まっており
3つの奉納がありその中の一つに、
古事記中巻『 高倉下(たかくらじ)』の演舞が奉納されていた。
高倉下とは。
神武天皇東征中の最大の危機を救った熊野の土豪。『古事記』『日本書紀』に登場する。それによれば,神武天皇は,紀伊に迂回して大和を目指すが,途中,熊野の村で大きな熊の毒気によって兵士たちともども気絶してしまう。このとき高倉下が天皇に大刀を献上し,目を覚ました天皇はその大刀で荒ぶる神の邪気を払った。高倉下がいうには,「夢に,武甕雷神が天照大神の命を受けて,下界の平定を手助けするために大刀を下すというお告げがあり,翌朝,倉を見ると夢の通りに大刀があった」という。高倉下というのはこれによるが,クラジは倉主の意ともいわれる。その大刀は石上神宮(天理市)に収められた。
つまり、天河神社に初めて行った時に、すでに武甕槌神とのご縁があった事が分かった。
⑧番外編
幼少期、私は鹿島神宮のある茨城県に数年住んでいた事がある。
追記
私が弥山登った同日の明け方に、トリニティは自宅で眠る夢の中に鹿が3体出て来て、会話をしている夢を見たという報告を受けた。私が実際にあった鹿も3体であった。
以上、鹿島神宮までの導きの記録。
最後に、雷の神様は何柱もいらっしゃるが、
武甕槌は、武神・剣の神・地震の神のお顔以外に、「雷神」の神格を持っている事を知った時には、ワハハと笑うしかなかった。
⑨令和4年1月21日追記
2017年11月20日深夜3時
私が「ブログかけ」とお告げをもらった直後の夜明け前に、訳も分からずその事を報告しにいった社は船岡神社(聖天社)は「建御雷神(タケミカヅチ)」が天河神社のホームページよりご祭神であった事が判明した。
確かにブログを書けという指示を断った時、雷のようなものを撃たれた(笑)
※12月25日追記
うちの坊主のクリスマスプレゼントの希望は、なんと、
鹿が主人公で大暴れするゲーム!
いやー見事に鹿尽くしでした。
でも、実は
経津主神
日本神話に登場する神
経津主神(ふつぬしのかみ、正字:經津主神)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。別名はイワイヌシ(イハヒヌシ)で、斎主神または伊波比主神と表記される。『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では布都怒志命(ふつぬしのみこと、布都努志命とも)として登場する。『常陸国風土記』に出てくる普都大神(ふつのおおかみ)とも同視される。経津主神
江戸時代の浮世絵に描かれた経津主神(岳亭春信『葛飾廿四将』)
が気になって仕方ないのです。
2022年9月
研修中、外のトイレで用を足していると、鹿が目の前で、こちらを見てた。
フェンスから出ると外に出ると立派な雄鹿がこちらを見てた。
ボートで島に到着した場所に鹿が待ってる様にこちらを見てた。
2022年10月
神事で鹿が出たとの事。
なっちゃんの奈良の修学旅行でのおみやげのキーホルダーを譲り受ける。
再び気になりだす。
2022年11月3日
春日大社に気になったが、まあいいやとやめて、十数年ぶりの比叡山延暦寺。
そこの万拝堂で、日付事の守護神を見た。
誕生日の14日は、弥勒菩薩と大原野大明神。
なーんだ、武甕槌様じゃないんだなと思った。
大原野大明神って、聞いた事ないな。
隣の15日は、
おーう。白い鹿。春日大社は、武甕槌。
まあ、偶然が重なる事はないよな。
と思った。
帰り電車で、調べたら、
大原野大明神は、なんと武甕槌様の事だった。
これは。
さすがに。
という事で、11月6日明日、早朝に、行く事とした。意味なんてわかる訳ないけれど。
行くと決めて、宿題をしている息子の漢字ドリルのノートを何となく見たら、鹿という漢字を勉強しているとこだったので、笑うしかなかった。
11月6日
当日、8時半着。抜ける様な青。
参拝する時に、ちょうど朝の祝詞をあげられていて、その間手を合わせた。
長女は、参拝中に、
『本殿の背中にある山の中の雄鹿が、何かを口でキャッチしてるイメージが浮かんだ。』と言った。
日本で唯一の神鹿。
同じ内容のおみくじ。
内容はずっとここ同じ事を伝えられている。
とにかく無事参拝。
訳は分からないけれど、とても気持ちの良い場所で、気持ちが良かった。
お団子やよもぎ餅も、おいしかったな。
今日は鹿島様の守護の日と知った。
令和四年11月23日
なっちゃんのキーホルダーも見つけたよ。
これで、鹿の旅も終わりでしょう。
ありがとうございました。
最後、春日大社を去る前に、
空から雷の音が轟いていましたね。
お見事です。
これで。
令和五年1月22日