わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳により運を添う①

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「生きる」新井芳洋 書

 

「御成敗式目」

 

神は人の敬によりて威を増し、

 

人は神の徳により運を添う

神さまを敬う人の
純粋な真心にふれ
神さまのご威光は
さらに輝きを増し
神さまの広き厚き
ご神徳のご加護で
人は導かれ運を開く

神さまと人とは
一方通行ではなく
お互いがお互いを
高めあう存在である

 

 

私は神様という言葉を自然に使いますが、

 

その言葉に変わるものとして、

 

本質、自然の摂理、宇宙のシステム、

天、サムシンググレート、創造主、

真理、真実、意識、

お天道様、エネルギー、

存在などと言った表現に

置き換える事も出来ます。

 

人を超えた存在

 

人を越えた力

 

それは私にとっては、

 

当たり前に感じるものです。

 

 

自分自身を見つめれば嫌でも分かる事です。

 

私自身(体・心)が

 

コントロール不可である事を見つけます。

 

それを司る存在は何なのか?

 

そこにぶつかります。

 

 

ひとたび、そとの世界に目を移せば、

 

それは完全に己を超えた力と存在に溢れています。

 

 

私の20代・30代は、

 

そういった存在(力)を感じながらも、

 

まるでそれらに抵抗する様に、

 

現実的と言われる物質面や、

 

日常の生活の目に見える事に、

 

力を注ぎました。

 

そうはいっても、

 

精神世界の事柄も、

 

渇きを癒すように、

 

必要としていましたが。

 

 

私は精神世界だけの働きに、

 

あまり魅力を感じる事は少なく、

 

社会への働きこそが、

 

ささいな当たり前の日常の中での働きこそ、

 

重要だと感じる認識があったためです。

 

 

 

しかし、

 

現実的な思考では

 

とても理屈に合わない事柄が増える度に、

 

神様を試すような事を何度もしてしまいました。

 

 

聖書の中でイエス様は、

 

『「あなたの神である主を試してはならない」

とも書いてある』

と言ってサタンを退けました。

 

神様を試しては、聖書的にはいけないのです。

 

その意味は私にも分かります。

 

それでも、

 

そうせずには生きてはいけませんでした。

 

私にとって、聖書は身近なものになりました。

 

何故ならば、

 

私にとって地獄の様な時期に、

 

聖書を旧約聖書から新約聖書まで、

 

最初から最後まで数日かけて読み切ったという

 

経験をしたからです。

 

 

このブログでは、

 

日本の神様に触れる事が多いですが、

 

実は不思議なご縁で、

 

20代から現在に至るまで、

 

聖書を伝道される方との交流が

 

途切れる事はありませんでした。

 

しかし、

 

聖書を実際に読む事に、

 

長い間抵抗があったのですが、

 

あまりに誠実に私を助けて下さる

 

牧師さんの存在が、

 

「聖書をちゃんと読んでみよう」

 

という気持ちにさせてくれました。

 

 

読んでみて、

 

本当に沢山の事を感じ、

 

学びました。

 

 

正直、

 

読む事にこんなに苦労するとは思いませんでした。

 

私は文章を読む事は得意な方だと思っていたので、

 

聖書には大いに挫かれました。

 

最後まで読み通せたのは、

 

書かれていた事を知らなかったので、

 

読めたのだと思います。

 

 

本当に不思議な本でした。

 

 

そして、読み終えて、

 

創造主は本当にいるのだろうな

 

と素直に感じました。

 

 

私には旧約聖書の内容に特に、

 

心が惹かれました。

 

・創世記

 

・ヨショア記

 

・伝道の書

 

・ヨブ記

 

・ダニエル書

 

が特に好きな章です。

 

そして、

 

主の厳しさと優しさ。

 

激烈なところが、

 

本当に惹かれました。

 

 

それでも、

 

新約聖書の

 

イエス様のカッコ良さと言ったら・・・・

 

この事は長くなりますので、

 

いつかの機会に。

 

 

さて、

 

何の話だっけ。

 

 

そう、神様(力)の存在を試す事。

 

それを何度も何度もやる私を許してくれました。

 

天の下では、何事にも定まった時期があり、


すべての営みには時がある。

(伝道者の書3章1節)

 

そして、

 

ずいぶんと遠回りをして、

 

もんどり打ち、

 

ノックアウトされて、

 

しがみついていた事柄を

 

強制的に排除され、

 

鍛え抜かれたのか、

 

一旦死んで復活したのか、

 

よく分かりませんが、

 

私にもようやく時が来ました。

 

 

私は神様(力)の存在を試す事を、

 

必要とする事はもうなくなりました(多分)。

 

 

 

あ、書こうと思ってたのと

 

だいぶ違ってしまった。

 

あ、もう寝なきゃ・・・

 

 

「忘備録」

 

・今日はとんでもなく吉日日

・復活の時がきた

・みろくの命題完成

・天河の弁財天

・新しい所属の始まり

 

※とんでもない宗教臭だわ・・

 我ながら驚く・・・

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