これは覚え書きだ。
これが偽善である事もわかる。
でも。記録させて欲しい。
本当の悪は、善の顔を持った悪だ。
悪のままである事は、まだ善だ。
何故なら、
見えてるなら近づかないで済むからだ。
人の生き血を吸う様に、
善の仮面を被って生きていた。
他者に対しての偽りは、自分に対しての偽りで、
その二重の構造は、自分も他者も破壊する。
悪なら悪として生きる事。
それがせめての誠実。
10日間。
それを生み出す事はどれだけの犠牲があった事を忘れるな。
出会った全ての存在に心からお詫びと感謝をします。
悪かったのは、全て自分が生み出した事。
宇宙のゴミであり続けたとしても、
善を被った悪ではなく、
せめてこれからは、
まっとうな悪になれますように。
人に恵まれた理由は、
強大な悪だからこそ、
天は善を配置させたのかもしれない。
迷惑かける。
かけざるをおえない。
これはせめての成長だ。
これも偽善。
でも、それをせめて、理解する事。
さあ、ゼロからやり直しだ。
ああそうだ、
生きる事は、冷たい水浴びをする様なものだ。
水浴びをする前は、
そのこれから起きる冷たさを想像して、
桶をもって逡巡する。
そうやって、ずいぶん生きてきた。
それは不毛で、無駄で、浪費で、消耗だ。
でも、どちらにせよ、どんな形でも、
水浴びはするのだ。
一番の解決方法がある。
その持った桶を水に入れて、
ただエイっと!
水を被るんだ。
そして。
その後、考えろ。
そうだったろ?
忘れるな。
そのままいけ!