わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

父について⑤(番外編)

「ご先祖様から白羽の矢」

昔から「釣り新聞」に時々載っちゃう父

 

父の話から少々逸脱するが、

 

私の家系について記そうと思う。

 

そして、

 

今まで伏せていた事も時期が来たという事で、

 

この機会に書いてゆくので、少し長くなる。

 

 

私の実家のお墓にある墓誌を確認すると、

(先祖の名前を記録するもの)

 

一番古く刻まれたもので、

 

1694年(元禄七年十一月二十八日)

岩崎孫右衛門

とある。

 

今から329年前の方になる。

 

また家系の発祥は、

 

徳島の名西郡から来たという記録が残っている。

 

私のご先祖は神様(仏様)に対する、

 

信仰心も篤かった様で、

 

菩提寺には、

(先祖代々のお墓があるお寺)

 

小さなお社を寄進したという

 

記録が残っていたそうだ。

 

 

私の生まれた町は東海道の宿場町に位置する。

 

資料館にあった、

 

天和2年の○○町の宿々割り図を確認すると、

 

当時のご先祖様は、

 

いくつもの種別のある宿場

 

信使宿・通詞宿・御馬宿

下官宿・中官宿・長老宿

上官宿 上々官宿とある中で、

 

上々官宿という比較的身分を高い方を、

 

宿泊させる施設を経営していた事が分かった。

 

 

私が真の字を引き継いだ曽祖父も、

 

丁稚奉公したあと、独立し、

 

横浜でまだ珍しい洋裁店を

 

経営していたと聞いている。

 

そして、祖父も戦前・戦後と警察官で、

 

もう少しで署長という役職に就けるところで、

 

「自分には合わない」

 

と、退職し、建材業の会社を起こした。

 

事業は増え拡大し、

 

いくつかの県で支社を持つ程になった。

 

そして、

 

父もその中の一つの事業を引き継いだという訳だ。

 

つまり、先祖代々、雇われるのではなく、

 

独立して生きてきた血筋だという事がわかっている。

 

 

私は、経営者になろうなんぞ、

 

考えもしなかった。

 

というか、こんな人間には無理だろ!

 

という深い自覚があった。

 

しかし、

 

20年近く他者が創った組織に身を置き、

 

働くという事に、

 

私には一度たりとも心から満足した事がなく、

 

常に心身が疲弊し、

 

もう人の下で働くくらいなら

本当に死んだ方がマシだ。

 

と真剣に思い詰めた。

 

しかし、先祖の事を知ると、

 

これも血に刻まれた気性なのかもしれないと、

 

最近思うようになった。

 

 

父は確固たる意志を持つ人だが、

 

祖父は更にその上をいく

 

厳しさを纏っていた人だった。

 

私は祖父の生き方に、

 

当時、あまり共感が持てず、

 

距離をとっていたように思う。

 

しかし、

 

今の立場から眺めると

 

また異なった印象を抱くようになった。

 

 

祖父の雰囲気としては、

 

気迫 胆力と言った言葉がよく似合う。

 

人と争う事も厭わない気性の苛烈さを持ち、

 

故 石原慎太郎さんを、

 

更に厳しさを増した感じ

 

といえば、どんな人物だったか、

 

おおよそ察しがつくと思う。

 

祖母は真反対の気質の人で、

 

とてもおおらかで優しい人だ。

 

 

その厳しい祖父のもと父は育った。

 

もしかしたら、父が子供の時に、

 

父親にして欲しかった事を、

 

私達にしてくれたのかもしれない。

 

そんな父も曽祖父から愛情を受けていた。

 

父のライフワークが釣りになったきっかけは、

 

曽祖父の存在だった。

 

父の祖父にあたる方は、

 

子煩悩で、人徳があり、

 

孫達を大いに大切にした人だったらしい。

 

父は曽祖父から

 

海や川で遊ぶ楽しさを教えてもらったようだ。

 

私は曽祖父に会った事はないが、

 

祖母や父からの思い出話が

 

温かいものだったからなのか?

 

名前を一字引き継いだためか?

 

分からないが、

 

祖父よりも遺影しか知らない曽祖父を、

 

不思議な事にずっと、

 

身近な存在として感じていた。

 

 

ご先祖がお寺に寄進したという歴史があるが、

 

私の家庭環境は、

 

宗教心や信仰などとあまり縁がない家庭だった。

 

歩いて数分の菩提寺でも時節に応じた、

 

必要な対応はするが、

 

両親も祖父母も兄妹も、

 

ご先祖様や菩提寺である宗派の事など、

 

ほとんど関心がなかったと思う。

 

まさに形だけの関わり方であった。

 

私はその最たるもので、

 

社会人になるまでは、

 

ご先祖様や信仰心に全く興味もなく、

 

血筋なんてものがあるから、

 

生きてる人間は大変なんだ!

 

俺の代でこういうのは終わりだあ!

 

くらいに思っていた。

(すいません)

 

※私は覚えていないが、

そうではなかったというエピソードもあった。

 

しかし、

 

社会人になり、

 

苦しみが溢れると、

 

実家に帰るたびに、

 

お墓に手を合わせる機会が増えた。

 

 

まあ、その後いろいろ不思議な事が起こり、

 

私は家族の誰よりも、

 

先祖や寺や神社に関わる人間になった。

 

 

長くなるが、この回で書いてしまおう。

 

 

まず先祖について関わろうと思った理由を書く。

 

 

私の物語でも書いたが、2016年以降、

 

目に見えない不思議な出来事が頻出した。

 

2017年〜2018年の間だと思うが、

 

いわゆる霊能力と言われる力を持つ2名の方から、

(3名だったかもしれない)

 

ご先祖様がどうしても、

 

あなたにお願いしたい事がある

 

と伝えられ、同じ内容の事を伝達された。

 

(私は自分からそういった方に会いに行く事は基本しない。)

 

その中の一人は、初対面でいきなり、

 

「変な事を言って大変申し訳ないが、

 

 どうしてもあなたのご先祖様が

 

 あなたに伝えたい事があると、

 

 メッセージが止まないので、

 

 伝えさせてください」

 

と突然言われた。

 

また同時期にトリニティもダイレクトに、

 

私のご先祖様から複数のメッセージを受け取り、

 

ある役割を担うように頼まれていた。

 

しかし他者である自分が、

 

他家に関わる事に苦悩していた。

 

前者の方が伝えた内容と、

 

トリニティが受けた内容は、

 

全く一致していた。

 

 

トリニティは時間がない中、

 

私の菩提寺に行き、

 

先祖の眠るお墓にひざまづいて、

 

服が泥まみれになるのを、

 

気にもかけず真剣に掃除をする姿を見て、

 

私は心底驚いた。

 

また先祖調査の件やその他の事も、

 

先陣をきって尽力してくれた事を感謝したい。

 

しかし、

 

私の先祖調査を自分の事より優先した結果、

 

その翌日、

 

トリニティには、

一生悔いの残る形の傷を残させてしまった。

 

それは今でも遺憾千万の想いがある。

 

 

 

人を介してご先祖様から伝えられた内容はこうだ。

 

ご先祖様はもともと、

 

信仰心が篤かったが、

 

あるきっかけがあり、

 

信仰を絶ってしまった。

 

そのため子孫達も、

 

信仰心を失っている。

 

その事を、あの世で、

 

悔やみに悔やんでいる。

 

そこで、私に白羽の矢を立て、

 

もう一度信仰心を持って、

 

神様を祀ってほしい 

 

そして、

 

その先祖代々の土地を守る事を、

 

に期待し託している

 

という内容だった。

 

私が選ばれたのは、

 

その様な信仰に対する資質を唯一親族の中で

 

受け継いでいるからという事だった。

 

 

私はその頃から見えない世界に巻き込まれ、

 

どうしても信じざる得ない状況だった。

 

 

メッセージを伝えているのは、

 

明らかに曽祖父だと感じた。

 

私はすぐに祖母に確認をした。

 

 

当時の実家は、

 

仏壇しかなく神棚はなかった。

 

 

祖母に話を聞くと、

 

曽祖父は確かに戦前まで信仰心が篤く、

 

神棚も祀り、

 

お供えもし、月初めなどは、

 

祝詞まで唱えていたという事がわかった。

 

しかし、

 

戦争で妻も事業も失った曽祖父は、

 

これだけ祈っても神様は大切なもの奪った。

 

「神も仏も居ない」と

 

信仰を絶ったという事だった。

 

その内容はメッセージと一致していた。

 

 

祖母に何の神様を祀っていたか?

 

また、なんという神社に通っていたか、

 

確認すると、

 

そこまでは分からない

 

ごめんなさいね

 

と申し訳なさそうに答えた。

 

 

 

翌日、

祖母が私に少し驚いたように話しかけた。

 

あれから眠ろうと目を閉じたら、

 

「ノゲ ノゲって聞こえたの」

 

祖母は確かに横浜にある

 

野毛という地名の場所に

 

曽祖父と住んでいた事があったと話した。

 

私は、すぐに

 

「横浜 野毛 神社」

 

と検索した。

 

すると一番上に、

 

www.iseyama.jp

 

と出た。

 

ああ、

ここに間違いない。

 

ここは天照大神様を祀っていると分かり、

 

(また子之大神は野毛地域の氏神。

出雲大社のご祭神でもある大国主神の別名。)

 

私は実際にその神社に行って、

 

神様と曽祖父に向かって、

 

約束を果たす事を伝えた。

 

 

私は神棚を祀るという事に、

 

非常に抵抗を感じながらも、

 

いろいろと調べ上げ、

 

私の住まいにまずは神棚を祀る事になった。

 

そして、ある期間が過ぎた後、

 

実家にも神棚を設置し、氏神様のお札と、

 

もちろん伊勢山皇大神宮のお札も祀った。

 

 

内容は伏せているが、

 

その当時の事を記事にしている。

 

 

令和元年初の帰省 - わたしからあなたへ

そして去年からずっと、

やらなければならなかった任務も無事遂行しました。

 

祖母に霊感があるという話は聞いた事がなかったが、

 

私が天河神社の霊夢を見た時、

 

何故か祖母が祭壇でお祈りを捧げていた不思議を思い出す。

天河神社が呼んでいる①(天河までの流れ④) - わたしからあなたへ

 

 

不思議といえば、今回の一話で少し触れた、

 

去年ある島に出向き、

 

精神的回復のきっかけになった場所。

 

その場所には偶然だとは思うが、

 

天河神社と同じご祭神が祀られていた。

 

また特に滞在したその場所は、

 

その神社のご神紋が発見された場所であり、

 

私の先祖の家紋とは、全く同じではないが、

 

基本図形のモチーフは同じものであった。

 

 

2019年に先祖調査を実施してから、

 

当たり前に過ごしていた土地も、

 

ご先祖様の歴史や、

 

数百年も守り抜いた事を知る事で、

 

私はこの土地を守る責任を感じる様になった。

 

 

話がずいぶんと逸れたが、

 

そろそろ父の話に戻そう。

 

 

父は13年前から、

 

ほぼ毎朝欠かさず、

 

日の出前から起き、

 

行程6kmの山を歩いている。

 

そして、

 

登山口にある氏神さまの神社で手を合わせ

 

13年間父は、

 

一 東日本大震災の復興

ニ 家族の平和と幸せ

(現在はウクライナの平和も)

 

を祈り続けている。

ここまでキタゾ!先祖のお墓に登場するイセ

 

「あなたへ」

ねむい。

 

現在、7時30分(月曜日)でとりあえず、終了。

 

今日も早くから目が覚めてしまったら、

 

坊主はとっくに起きていた。

 

このブログの始まりである物語を、

 

書き始めた時と過ごし方がそっくりです。

 

ブログの物語を終えた時、

 

感想を聞くため、

 

2日間だけコメントを公開しました。

 

その時頂いたメッセージは、

 

今でも私の宝物です。

 

今日からまた1週間が始まります。

 

さあ、今から神棚のお世話をして、

 

イセの散歩をして、

 

出勤の準備をしなきゃな。

 

そろそろ暖かくなるかな。

 

春はダルくなるから非常に辛い。

 

さあ、1週間、がんばりましょうか。