わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

父について④

「父の思い出」

アフガニスタンにて 父の背中

 

私は基本的に人に相談はしない。

 

自分の選択は自分で決定してきたし、

 

というよりも、正直に書くと

 

自分の中に選択肢というものが、

 

「それ以外ない」

 

といった感じだったから。

 

振り返って、

 

あの時、ああしたら良かった

 

あの時に戻ってやり直したい

 

と想える事は少なく、

 

きっと何度繰り返しても、

 

結局この選択肢を選ぶほかなかった

 

と感じてしまうからだ。

 

それほど追い詰められたとも言えるし、

 

精一杯やったとも言える。

 

あの時の自分には、

 

ああする以外に道はなかったと想うのだ。

 

 

決めた事を報告するのは、

 

まず母だが、

 

母は必ず父に許可を取るように促した。

 

この時も、人生の岐路について、

 

父に許可を求めた。

 

それは以前記事にしていた。

 

接心⑨(天河までの流れ⑥) - わたしからあなたへ

 

私の祖父はもう亡くなっていますが、

 

祖父は40前後まで警察の仕事をしており、

 

次は署長という時に、警察官の仕事を退職し、

 

その後、一代で事業を起こして

 

それなりに成功した実業家でした。

 

祖父は、祖母と正反対の気質を持つとても厳しい人でした。

 

祖父の事業は、3人の息子達が事業を引き継いでいます。

 

私の父も祖父の事業を引き継いだ一人です。

 

私が20代の時、進みたい道がありました。

 

それを父に相談した時、

 

父は言いました。

 

『俺は自分の道を歩けなかった。

 

お前は好きな道を歩けばいい。』

 

と言って、私を自由にしてくれました。

 

父に相談したシチュエーションは、

 

生まれ育った港を歩きながら

 

だったと思う。

 

父と向かい合って、

 

座って話すのも気恥ずかしく

 

歩きながらじゃないと、

 

とても話せなかった。

 

 

その時、

 

父は、上記の言葉の他に、

 

『俺は自分が何をやればいいか見つからなかった。

 

 お前の仲間や仕事は本当に素晴らしいと思う。

 

 お金を稼ぐだけの人生などつまらない。

 

 やってみたらいいさ』 

 

と、いった内容を私に伝え、

 

背中を押してくれた。

 

 

父は経営する事業の後継ぎとして、

 

私を据える事も考えた事もあったのだと思う。

 

そういえば、

 

父の働く現場に時々連れて行かれたのを覚えている。

 

しかし、私の関心の薄さや、

 

私のピンボールの様な生き方を見て、

 

早々に諦めたのだと思う。

 

父は、実父(私にとっての祖父)から引き継いだ事業を、

 

経営者として担い、働き続けた。

 

 

私の記憶する父は早朝から起き、

 

コーヒーを飲み、

 

銀色の腕時計を着け、

 

自宅のすぐ近くにある事務所に向かっていった。

 

父が居なくなると、

 

優しい母が残り、

 

子供達はようやく伸び伸びした(笑)

 

父の存在には、

 

一種の緊張感があったのだと思う。

 

 

仕事の事をあまり話す人ではなく、

 

そして、愚痴を言う人でもなかった。

 

経営者なので、

 

どんな苦労があっても逃げる事もできず、

 

仕事と向き合ってきた。

 

父は本当によく働いたと思う。

 

 

父は当時、週一回の水曜日休みの時間を、

 

ライフワークの釣りの時間に充てていた。

 

夕食後に、

 

デスクライトをつけ、

 

鳥の羽から渓流釣りで使う、

 

毛針を職人のように作っている事もあった。

 

また釣竿を作ったり、仕掛けを作ったり、

 

浜辺から仕掛けを投げて、

 

砂地にいる貝を回収する装置なども、

独自に発明したりしていた。

 

 

父が暇をして、家でゴロゴロしている様子を

 

私は見た事がない。

(俺との違いよ)

 

いつも何か夢中になっており、

 

行動を通して、

 

生きる上で大切な事を学んでいる人だと

 

何度も思った事がある。

 

私は生きる力を思考や知識に頼ったが、

 

父は優れた直感と、

 

身体や経験を通して、

 

生きる哲学を実践していた様に思う。

 

 

母は、職人の様に集中している

 

父のその姿を見るのが

 

好きだと言っていたのを覚えている。

 

 

働きに働いた父も74歳になり、

 

今年でその事業も、

終わりにするのだと聞いている。

 

本当にお疲れ様。

 

そしてありがとうございました。

 

 

私も思いがけず、

 

法人を設立し会社を経営する身になり、

 

父は50年以上?

 

事業を継続させ、私達家族を養い、

 

更には、私の子供や、孫達にも、

 

現在に至ってもなお、

 

得難い経験をさせ、支え続けてくれている。

 

そして、

 

自身のライフワークを楽しめる程の経済力を、

 

保ち続けた事は、心底驚嘆している。

 

私もその立場に立った事で、

 

その苦労を本当の意味で理解し、

 

その偉大さに心から敬服しています。

 

次回は番外編として、

 

私の家系とそれにまつわる

 

不思議な話に触れていきたいと思っている。

 

つづく

 

 

「あなたへ」

 

今朝は5時すぎには目が覚めてしまいました。

 

今回のテーマを書くことは、

 

私にとって、物語を書いた時の様な、

 

一種の使命感の様なもの帯びている気がしており、

 

ここ数年私を動かした天意の様なものを感じています。

 

昨日の夜、記事を書きながらふと、

 

祖母の事も生きているうちに書いた方がいい

 

と言う思考が生まれました。

 

うーん、また大変になっちゃうぞ。

 

仕事もはじまっちゃうのに。

 

でも、まあ、こんな感じでやってきましたから。

 

早朝のリビングに行くと、

 

坊主がすでにゲームをやっている!

 

ではありませんか。

 

明日は朝8時でゲームは終了!

 

と言いつけてあったからです。

 

なんせ、土曜日は

 

ゲームの時間数がバレちゃうのだ

10時間!

 

やってますから!