わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

てだのふあ(太陽の子)②

ひとを愛するという事は、知らない人生を知るという事だ。

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太陽の子 - Wikipedia   灰谷健次郎 著

ふうちゃんは、神戸生まれの女の子。おとうさんとおかあさんは沖縄出身で、神戸の下町で琉球料理の店「てだのふあ・おきなわ亭」を営んでいる。やさしい常連さんたちに囲まれて明るく育ったふうちゃんだが、六年生になった頃、おとうさんが心の病気で苦しむようになる。おとうさんの病気の原因は何なのか?ふうちゃんは、「沖縄と戦争」にその鍵があることに気づきはじめる…。戦争は本当に終わっているのだろうか。なぜおとうさんの心の中でだけ戦争は続くのか?今、日本人が本当に知らなくてはならないことがここにある。

 

先ほど、太陽の子を読み終えました。

 

感動が消えないうちに記します。

 

ずいぶんと涙が出なかった私も、

この本を読む中で、何度も涙が溢れそうになりました。

著者の灰谷さんの感受性が、

私の中で凍りついていた何かを、

震わせて、溶かしてくれたのかもしれません。

 

生きる事の途方もなさ、

激しい痛み

それでも見つめ続けるという事。

そういった生きる事の魂の痛みが、

灰谷さんの言葉を通して、私の魂も震わせました。

 

この物語は戦争を背景にした悲しい物語でもあります。

強く優しい魅力的な登場人物達に共通するのは、

「まごころ(真心)」

です。

真心は、時に激しく、厳しく、そして泣けるほど優しい。

 

著者の灰谷さんは、

本当の優しさとはなんだろう?

という事を考え続けたのでしょう。

その誠実さは言葉を通して気迫さえ感じます。

 

私はこの物語の沢山のシーンに胸が震えました。

 

優しかったお父さんが、

戦争の記憶によって心を壊してしまい、

現実と記憶の区別がつかなくなってしまったシーン。

黒いものは、イラブーの燻製だった。

おとうさんはそれをちぎりながら、

ふうちゃんが殺されるやろが、

ふうちゃんが殺されるやろが・・・

と何度もつぶやいていたのだった。

想像の中で、お父さんは戦争からふうちゃんを守るために必死で戦っていたのだと思います。

私も同じ父親として、子を守ろうとする終わらない孤独の戦いに胸が痛みました。

 

キヨシ少年は無抵抗だった。

どんなに殴られても眼が静かなのだった。

じき、けだものの様な眼になるキヨシ少年はどこにいったのだろう。

キヨシ少年はボロくずのようにころがっていた。

「よう、キヨシ」

キヨシ少年は力なく首を振った。

なにか口の中でつぶやいた。

「なんや。なにいうとんや」

背の高い少年がいった。

「かあちゃんも苦しかったんやもんな」

キヨシ少年の目尻から、涙が一筋すっと流れた。

キヨシ少年は人々の愛情や悲しみに触れ、

本当の強さを身につけていきます。

この後、また野生に戻るんですが・・

このキヨシ少年の質が、自分と似ている質を感じて、

感情移入してしまいます。

 

梶山先生に宛てたふうちゃんの手紙

キヨシ君はきびしい人です。

人を愛するという事はきびしいことなんだなあ、とつくづく思います。

主人公のふうちゃんは、その手紙の中で、

人としてえらい

とはどういう事なのだろうか?

という答えを模索していきます。

肩書きや業績なのか?

それとも?

私もふうちゃんが導いた答えと同感です。

 

私が灰谷さんに惹かれるのは、

光が当たりにくい存在に対して、

光をあてている事です。

目立たなく、時に弱く、

主張も出来ない存在達の声を確かに拾っています。

ですから、目立たないトキちゃんが梶山先生に宛てた、

静かな闘志と抵抗の手紙に涙が出ました。

 

私は、主張もせず、言い訳もしない人物に惹かれます。

血が滲む様な悔しい想いも、

誤解もされ、

辱めを受け、

それでも、言い訳もせず

天を見上げ立ち尽くす人間を見ると

どうしようもない気持ちに襲われます。

まるで、自分の弱さを見透かされて、

焦がれる様に、

その相手に対して畏敬の念を抱きます。

 

「この手を見なさい。よく見なさい」

ろくさんは上着をとり、寒いのにシャツまではいだ。

浅黒い皮膚が出て、その胴には手が一本しかついてなかった。

ろくさんは見えない左手を突き出した。

 

普段はモノを語る事の少ない静かなろくさんが、

警察に真っ向から立ち向かうシーンです。

ろくさんは、戦中に日本兵から手榴弾を渡され

自決する様に求められ、

悲しすぎる経験をしています。

 

20代で読んだこの本の言葉達が、

私の価値観に大きな影響を与えていた事を今回よく分かりました。

私も足りない頭で、

本当の優しさとは強さとは?

という事を考え続けてきたのだと思いました。

 

きのう、ろくさんのおっちゃんの告白を

きいているふうちゃんの眼を見てるうちに、

ふうちゃんを子どもあつかいにしたらあかんとおもた。

ふうちゃんの眼はきれいやった。

きれいだけやない。

ふかい海みたいなすごい眼やった。

あんな眼ができるおまえがうらやましい。

あんなすごい眼ができるふうちゃんにだったら、

おれのかあちゃんことを話してもだいじょうぶや。

そうおもた。

 

作品には「眼」の表現が出てきます。

私も相手の眼をじっと見てしまう事があります。

私の見つめる眼はよく「こわい」と言われる事も多いので、

あまり見つめないようにしています。

自分で鏡を見つめたときも、

確かに人間の眼じゃないようにも感じる事は内緒です。

 

しかし、本当に何かを知りたいと感じた時は、

相手の眼を無心で見つめます。

眼には、何か言葉にもならない様な情報を

表出しているように私はずっと感じてきました。

 

さてさて、熱くなりすぎて紹介が長くなってしまいました。

興味があればぜひご一読を。

 

私がこの本を手にしたのは、

皮膚の病気でボロボロになった身体に疲れ果て、天井を燃える様に見つめていた第二の人生の始まりの時だったと記憶します。

この後沖縄を一人旅をして、今ある己の基礎をつくりました。

第三の人生は、社会人と家族の始まり、

そして2016年を機に、

築いたものが、全てゼロに導かれました。

第四の人生は今始まったばかりです。

この時に、主人公のふうちゃんとほぼ同学年の長女に、

誕生日プレゼントとして、

この本を渡せた事は、

非常に感慨深いものがあります。

 

最後に私の好きなシーンを引用して終わります。

 

あんた方は知念キヨシという少年の

人生を見る気持ちはないかね。

あんたの人生が

かけがえのないように、

この子の人生もまた

かけがえがないんだよ。

ひとを愛するということは、

知らない人生を

知るということでもあるんだよ。

そう思わないかね

 

おわり

 

「あなたへ」

 

今日は土曜日です。

本当に久しぶりにゆっくりと過ごしました。

この2週間はあまりに体調も悪く、

また利き手の右手が空気に触れるだけで、

激痛に襲われていたので、

その痛みで瞬間瞬間、血の気を失う様にふらついていました。

そして、仕事や家事や学校の行事も忙しく、

寝る前は体が完全に停止してしまう状態でした。

 

昨日病院を受診し、治療薬をもらった事で、

大幅に痛みから解放され、

こうしてパソコンを打つ事もできる様になりました。

 

生きるって大変な事です。

 

身体的な痛みや制限は、

存在する苦しみがある。

 

身体が健康でも、

思考の苦しみがある。

 

もしかしたら、私たちは、

この当たり前と言われる

「普通の状態」が、

本当の幸福だと気づくまで、

旅を続けるのかもしれませんね。

それは奇跡的な均衡状態。

忘れやすい私のために、

神様はもう一度私に体験させたのかもしれません。