ここ最近、自分について触れた記事を多く書いた。
客観的に見ても、
何だかいろいろある人生なんだと思った。
生きる事に、毎日必死だなと思う。
もっと余裕で生きてみたいな。
楽しく、幸せだなあと思う瞬間はあるが、
多くの時間は、役割に課せられた作業に追われる。
自分なりに大切だと思う事を学んだり、
実践したりしているが、
優しくなれたかと思ったら、
怒りに満たされてしまう。
不都合な事が起きた時、人の責任にする事で、
自分の汚さ弱さから目を逸らす。
その弱さを見つめていると挫けそうになる。
でも、負けたりしないと踏ん張る。
ようやく手に入れたと思ったのは、
もう姿形もない。
一歩、一歩進んでいるつもりで、
あっという間に後退している自分を見つける。
どこにも進んでいないと本当に気づくまで。
俺は進むしかない。
生きる事は途方も無い事だが、
ときおり、生きる力を与えられたりする。
それは、まことに生きる人々の言葉。
六魚庵信仰歌
坂村真民
迷いながら
躓きながら
求めながら
失いながら
憎しみながら
愛しながら
泣きながら
堪えながら
責めながら
怖れながら
己をつくり
神へ近づく
仏へ近づく
さかむら しんみん1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)[1]。一遍の生き方に共感し、癒やしの詩人と言われる。
熊本県荒尾市出身。熊本県立玉名中学校を経て、神宮皇學館卒業。
愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床し、近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であった。詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。
ああ、
俺も生きていていいんだ。
そう想える詩です。