わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

矛盾を抱えて

「それでもゆけ」

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 「手を伸ばす」by GAHAG

 

 

私は思うのです。

 

 

優しさが大きければ、

 

怒りも大きいと。

 

 

良い部分が大きい人は、

 

悪い部分も大きいと。

 

 

誰かに優しい人は、

 

誰かに冷たい人だと。

 

 

そう思うのです。

 

 

誰かに向かう優しい手は、

 

誰かを離した手だからです。

 

 

誰にかに開いた胸の内は、

 

誰かに閉じた胸の内なのかもしれません。

 

 

誰かを優しくする時、

 

誰かを傷つけている。

 

 

そんな悲しい反作用が、

 

この世界ではどうしても生まれてしまいます。

 

 

でも、

 

大切な事はそれを認識した上で、

 

どう生きるか?

 

という事だと思います。

 

 

私は自分が善なる存在だと、

 

思った事はありません。

 

 

私は自分が悪なる存在だと、

 

思う事はたやすく出来ます。

 

 

私はその様な自覚はあります。

 

 

私は私を生きる事で、

 

私に関わる全ての存在に、

 

甘え、

 

許され、

 

我慢をさせ、

 

傷つけている自覚があります。

 

 

私が何か動く時、

 

誰かを救いもして、

 

誰かを傷つけるのだという想いの中で、

 

手を伸ばします。

 

それが人間の限界。

 

いや、

 

他の人は、

 

もっとうまく出来るのか。

 

ああ、

 

それは私の限界か。

 

 

千手観音様はいいよなあ。

 

あれだけ手があるのだから。

 

 

私の様に、

 

誰かの手を振り払い、

 

誰かの手を握る事もない。

 

 

私の様に、

 

誰かの手を離す事なく、

 

千の悲しみを救う事が出来て。

 

 

こんな悲しい、

 

矛盾を抱えて苦しむ事もない。

 

 

千手観音様は、

 

きっと、いつかの存在の時、

 

その限界の中で泣いたのでしょう。

 

その矛盾に苦しんだのでしょう。

 

 

そして、

 

その慈悲心故に、

 

千の手を持つに至ったのに違いありません。

 

 

でも、千手観音様の事だ。

 

未だに泣いているのかもしれない。

 

 

千の手を伸ばしても、

 

救っても救っても、

 

手が足りないと。

 

 

何故ならば、

 

この世界には泣いている人ばかりだから。

 

だから、

 

本当はもっと悲しいのかも知れないですね。

 

 

慈悲心の塊の様な千手観音様。

 

もし、

 

私が千の手を持っていたら、

 

阿修羅にもなってしまう危険があるな・・・

 

 

だから、

 

私の手は二本で良かったのかもしれません(笑)

 

 

道義的には、

 

悪を為す事よりは、

 

無為でいる事が大切なのかもしれません。

※本来の意味ではありません。

 

でも、

 

私にはそれは出来ません。

 

私にはそれは出来ない。

 

 

私は矛盾を起こしながら、

 

生きてゆくのみです。

 

 

助けようとして、

 

傷つけてゆく。

 

それでゆくほかないのです。

 

どうか許して欲しいと思います。