わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

心に重しは悪いのか?(3)

「重い存在」

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「お不動様」byS 

 

sintamsc.hatenablog.com

 

ここで、

 

はて?

 

という疑問が浮かびます。

 

心に重い存在というのは、

 

果たして悪い事なのだろうか?

 

という事がです。

 

 

自分にとって一見都合の悪い。

 

重き存在。

 

または

 

または重き役割(仕事・家族・人間関係)。

 

 

その重き存在/役割は、

 

もっと自由に!

 

もっと気楽に!

 

もっと好き放題に!


そんな軽やかに天に向かって行こうとする私の本性を、

 

グッと地に縛り付けるような働きかけをします。

 

それは、

 

まるで重力のようです。


重力は私を地に結び付け、

 

その中であらゆる局面に向き合わせます。

 

 

強制に近い環境で、

 

私は立ち上がるしかなく、

 

様々な局面に向き合う事で、

 

筋力トレーニングの様に、

 

筋力(対応力)をつけていきます。

 

 

対応力が上がると、

 

世界を見つめる視点が変ります。

 

世界を見つめる視点が変わるという事は、

 

すなわち自分が変わるという事です。

 

 

変わってしまうと、以前の自分には戻れません。

 

それも不思議な事だと思うのです。

 

 


さて、話しは変ります。

 

人は自由を求めます。

 

もちろん私もそうです。

 

しかし、

 

自由を使いこなすには、相当な実力が必要です。

 

実力とは、

 

強い意志であり、目的であり、行動力であり、

 

自由に使えるお金を含む事かもしれません。

 

 

これは私の見解ですが、

 

期限のない自由などはある種の地獄状態かもしれません。

 


私もある時期、わずかな期間ですが、

 

自由な時間を得た事があります。

 


特別為す目的もなく、余りある時間。

 

何も強制されない時間。

 

ある意味無重力な状態。

 

それは、

 

日々の起きる時間、寝る時間も自由です。

 

いくらでも眠れる。

 

いつ起きてもいい。

 

今の私にとっては夢のような状態ですが、

 

実際その様な状態が日常化すると、

 

それは喜びにはなり得ません。

 

 

今日を何をして過ごせばいいのか?

 

と途方に暮れる始末です。

 

 

どこに行く気持ちにもなりませんでした。

 

何故ならば、

 

いつでも行けると思っているからです。

 


私は毎日時間が虚しく、

 

手から滑り落ちてゆく感覚を持ち、

 

何も生み出せず、

 

生きる張りを失ってゆくようでした。

 

充実感と反対の境地に似ているかもしれません。

 

日々を捨てゆく罪悪感すら感じました。

 

当時の私は、

 

「ああ、今の俺には自由は使いこなせない・・・」

 

と、

 

自由を使いこなすには実力が必要なんだという事が身に染みました。

 

 

さて、

 

自由の反対は制限と言っても良いでしょう。

 

今回テーマにしている「重き人」「制限」に近い意味合いがあります。

 


自由と制限は相反する様に思いますが、

 

制限があってこそ自由の価値を感じ、

 

自由があってこそ制限の価値を感じる。

 

両極あって初めて価値が発生します。

 

 

自分にとって重き存在がいれば、

 

自分を解放してくれる人の尊さを感じます。

 

自分を解放してくれる人だけしかいなければ、

 

そこに価値は生まれません。

 

「別に?普通でしょ?」

 

と特別の価値になる事はないでしょう。

 

 

毎日働いていれば、休みの日は特別に感じます。

 

それは制限が多いほど、解放感が高まるからです。

 

その開放感が大きな喜びに繋がります。

 

また解放の時の期限があるからこそ、

 

存分に有効に、

 

その時間を使おうという意志も生まれるものでしょう。

 

つまり、

 

あらゆる価値は両極から発生します。

 

あらゆる感情も両極があって発生します。

 

どうやら世界の在り方は矛盾で出来ているようなのです。

 

どうやら、

 

私を地に縛り付けるような役割や重き存在は、

 

私を解放させ、

 

喜びを味あわせる存在でもあるようなのです。

 

つまり、例に出した、

 

おGさんがいる事によって、

 

私は変化をし、

 

おGさんから離れた時に、

 

当たり前の日常に解放感を味わえる様なのです。

 

つづく