わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

苦しみを引き受けた者だけが

酒井しょうこと辿る聖母マリアに出会う旅 フランス 3人の聖女を訪ねて

 

聖母マリア様の事が気になって、以前読んでいた

 

www.akishobo.com

 

という本を読み直しました。

 

この本は写真がとても美しい事と、

3人の聖女の生涯が簡潔に描かれてとても気に入っています。

信仰の力強さと清らかな信仰心に胸を打たれます。

 

この聖女達はそれぞれの人生の中で、

聖母マリア様に出会います。

 

私は聖書を全部読んだ時に、マリア様の記述を探しましたが、

本当にわずかな量の記述だった事に驚きました。

聖母マリア様は私にとってインドのカルカッタの地で、

マザーハウスのボランティアをした際に頂いたメダイがきっかけで、

マリア様が身近な存在になりました。

私が唯一身に着け続けている装飾品です。

 

不思議のメダイ - Wikipedia

 

そのメダイの表面には、

『無原罪の聖マリア、あなたに寄り頼む私たちのためにお祈りください』という祈りの言葉。

地球の上に立ち指先から放射状に光を放つマリア様。

踏み砕かれた蛇

が描かれています。

 

裏面には、

十字架

12使徒を意味する星

聖母マリアのM

無原罪のI

2つのハート

が描かれています。

 

そのハートの一つは、

人々の救いのために、いばらの棘で傷ついたキリストの御心。

もう一つは、

御子を犠牲とされて、苦しみの剣で貫かれた聖母マリアの御心。

 

人を救うという事は、

苦しみを引き受けるという事なのかもしれないと思いました。

人を救えるのは、苦しみを引き受けた人だけなのかもしれない。

 

酒井しょうこと辿る聖母マリアに出会う旅 フランス 3人の聖女を訪ねて

 

無学で、病弱で、貧しいがゆえに軽蔑され、

社会から疎外されていたベルナデッタ。

そんな、もっとも貧しいベルナデッタの前に、

聖母マリアは出現され、使命をお与えになりました。

 

イエスキリストも、貧しい家に生まれました。

そして、誰の光も届かない人々に対して、

生涯寄り添い生きました。

 

神様が大切にする価値基準と現人類が大切にする価値基準は明らかに異なります。

社会の評価と神様の評価は全く異なります。

私は出来る事なら神様に愛されたいと願います。

 

そして神様がお金でも地位でも影響力でもなく、

孤独のうちで生きているとしても、

心のうちを見てくださる事が本当に嬉しく思います。

 

そして、主がどれほどの力(創造力も破壊力も含めて)を持っている事を、

心から嬉しく思います。

 

真の信仰というものを知ると、

強さとは一体なんだろうか?

と考えてしまいます。

 

強さとは、

苦しまないという事ではない。

傷つかない事ではない。

不安ではないという事ではない。

泣かないという事ではない。

 

むしろ、

苦しみ、傷つき、もだえる。

その中でいかに信じる事が出来るのか?

その中で、他者に何を与える事とが出来るのか?

怒りか?優しさか?

神様はその心のうちを静かに見ている。

 

強さとは、ありのままの弱さを受け入れ、

それでも神様のもとへ歩き続ける事を強さというのではないか?

と強さに対する価値観が崩れてゆきます。

 

ここで思い出すのが、西郷隆盛の言葉です。

 

西郷南州遺訓 第30条

命もいらぬ、名誉もいらぬ、官位や肩書きも、

金もいらぬ、という人は

始末に困るものである

この意味する事は、

このような人物でなければ国家の命運を分けるような大きな仕事は出来ないという意味です。

 

私はこの言葉は神様に対する信仰においても共通すると感じます。

神様はきっとこのような人を助け導くのでしょう。

 

私のような悪党でさえ、

神様は私を惹きつけます。

それはありがたい事です。

 

さて、今回は聖女達の信仰の美しさに触れたので、

思わず書いてしまいました。

 

いつかフランスのパリに行って、

聖母の聖堂に行ってみたいな。