わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

常岡一郎さん(3)

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 「今日の太陽」by s

 

 

 進む前に さがす前に

 

常岡一郎選集 真理にに学ぶ

 

 

暗い。やみの夜。

 

いかに立派な道があっても進めない。

 

心がおびえて、手足がすくむ。

 

これと反対に自分の光を持ったらどこでも走れる。

 

山の道でも走って行ける。

 

物をさがす。

 

やみ夜は手さぐり、足さぐりで、さっぱりわからぬ。

 

電灯をつける。さっと光がさす。

 

何だ。ここにあるよ。

 

とたやすく見つかる。

 

全く光の尊さである。

 

ものをさがす前に。たのしく進む前に。

 

先ず光がいる。

 

すべての動物は自らの光をつくり出す道を知らぬ。

 

人間だけが光と熱をつくった。

 

だから、生活の楽しい幅をひろげた。

 

夜も光で働ける。

 

くらやみの道も進める。

 

たのしめる。

 

光と熱で飛行機も飛ぶ。

 

新幹線も走る。

 

この世は『一寸先はやみの世』と言われている。

 

いつ病み患いが包むかわからぬ。

 

今でも病み疲れている人が数限りなくある。

 

病院はどこでも超満員である。

 

事業に失敗した人。

 

行き詰まった人。

 

それもまたやみの中で手さぐりをしている。

 

足さぐりであがいている。

 

光がほしい人々である。

 

そんな人に本当の光を。

 

こう思う。

 

そのたびに自らの力の足らぬこと。

 

不徳が悲しまれる。

 

太陽のように自らの光をもった人の尊さがわかる。

 

心の中に光をもたれた偉大な教祖、宗祖の光が慕われる。

 

せめて光になりたい。

 

自分の家庭でも良い。

 

職場でも良い。

 

一隅でも良い。

 

光となってあげたい。

 

この願いをすべての人が持つようになったら小さい光でもよい。

 

集まれば凄い。

 

人の世はずいぶん明るくたのしいものになるだろう。

 

私は四十三年前、二回の大喀血をやった。

 

生死の一線をさまよった。

 

その時先ず自分の心に光をつけたい。

 

この願いで中心の第一巻を書いた。

 

それから毎月書いて四十三年になる。

 

一人で中心を書きつづけた。

 

いつの間に幾万、幾十万の人の心の友ができた。

 

お互いに真理をうな諾き合う。

 

それで光の波紋がひろがるようになった。

 

小さい笑顔。

 

ささやかな感謝。

 

これが四方八方につけられたら世は明るくなる。

 

それがまた一人一人の光の因。

 

種になる。

 

人を責める前に自らの心に光をつける修養をしたい。

 

工夫がしたい。

 

そのために真理の研究をしましょうと呼びかけたい。

 

行きつまる。

 

暗い運命になやむ。

 

 

その時の運命だ。

 

しかたがないという人がある。

 

これは運命が絶対の力で人を支配していると考えている人である。

 

運命が人間を支配するのではない。

 

人間の考え方。

 

生き方。

 

心の持ち方。

 

これが狂っていたら運命が狂ってくる。

 

人間の心。

 

考え方。

 

生き方。

 

これが一つにまとまって運命の基本となる。

 

運命という鏡に自分の本体が映っているにすぎない。

 

ピンチの時こそ、

 

困った時こそ、

 

ああ、終わりだと思った時こそ、

 

自分の心に光を灯す。

 

 

これは、なかなか難しい事ですが、

 

たしかに道理でありますね。

 

 

光を灯すとは、

 

深い呼吸かもしれません。

 

空を見上げる事かもしれません。

 

お茶を一杯飲む事かもしれません。

 

自分を信頼する事かもしれません。

 

つまり、自分を安心させるという事でしょう。

 

 

運命についての言葉もいいですね。

 

運命は、自分の姿を映す鏡に過ぎないという事。

 

つまり、

 

自分自身が創り出しているという事です。