わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

わからん

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 「しんこう」byGAHAG 

 

信仰(しんこう)とは - コトバンク

一般に絶対的他者 (神,キリストに代表される人格的他者およびその他の超自然的存在,あるいは自然的存在) もしくは絶対的自己への信頼的,合一的態度であり,学識は必ずしも信仰の成立に不可欠な要素ではない。したがって信仰の形式はさまざまであり,アニミズムや祖先崇拝にみられるような素朴なものからユダヤ教,仏教,キリスト教,イスラム教におけるようにすぐれた教典と伝統を有するものまである。また信仰の形式については同一の宗教内部でも異なる場合がある。たとえば仏教においては親鸞のように他力本願を唱える者と禅宗のように自力を主張するものがある (→自力・他力 ) 。キリスト教ではパウロが信仰の概念の形成に大きな役割を果し,信仰を希望とともに神に対する3つの徳の一つとして位置づけた。彼によれば,「信仰とは望んでいる事柄を確信することであり,まだ見ぬものを確認することである」。スコラ神学では信仰の概念がさらに精密化され,トマス・アクィナスは信仰を「神の恩恵により促された意志の働きによって神の真理へ同意する知性的行為」と定義した。プロテスタントでは M.ルターが信仰における無条件的信頼性の優位を強調したが,以後プロテスタントの正統主義においては再び主知主義的色彩が強められた (→義認 ) 。今日,特に弁証法神学者の間では再び,無条件的信頼という宗教改革者の精神に立返る努力がなされている。

 

 

結局、

 

俺が出来る誠実さは、

 

考察を深める事ではない。

 

 

分かった気になる事ではない。

 

そんな事よりも、

 

「今」、

 

この音を、この感覚を、この思考を、

 

この内でもなく、外でもない、

 

「生」の脈動を確かに感じる事だ。

 

そして、

 

その内でもなく、外でもない、

 

場所から湧き上がる、

 

「何か」を、

 

あるがままの姿で地上に表現する事なのだ。