わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

振れる大きさが与える大きさ①

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「振れる大きさ」by Pixabay 

 

私は自分の中に暴力性がある事を認めています。

 

私が他者からどう映っているのかは分かりませんが、

 

一歩間違えれば狂気的な世界に踏み込み、

 

後戻りできない危うさを私自身、感じ続けていました。

 

その感覚を自覚しているので、

 

より意識的に表面に現れない様に、

 

強い意志の力で抑え込んでいた様にも思います。

 

だからと言って、

 

その逆の作用である愛情がないのか?

 

といえばそうではありません。

 

表面上は素っ気ないですが、

 

自分の中に愛情面もとても強いという自覚もあります。

 

普段の表面上は、

 

私は穏やかで優しげな印象を持たれる事もありますが、

 

時折、私の本質に気づく方も稀に見えます。

 

まあ、そんな事はどうでもいいか。

 

私はその矛盾した二面性を自覚して、

 

自分という人間が一体なんなのか、

 

いつも持て余したように思います。

 

心の中の落としどころがなく、

 

彷徨っていました。

 

 

 

 

愛の中に、暴力性がある事。

 

暴力性の中に、愛がある事。

 

 

もし、暴力性がなくなったら、

 

愛の力も消えてしまうのです。

 

私にとってそれは一つのものでした。

 

 

優しさや愛の塊の様な、

 

マリア様や観音様。

 

そして、社会で活躍する、

 

優しさが表面から溢れている様な人々。

 

 

その様な存在からは、程遠い私。

 

 

ここ数年、

 

神社やお寺に行く機会があり、

 

沢山の仏像なども見かける事が増えました。

 

その際、

 

不動明王様のお姿もよく見かける様になりました。

 

その容姿は一見、怒りに満ち、

 

とても善なる存在には思えませんでした。

 

しかし、

 

その憤怒の表情が、

 

「深い慈悲心(愛)ゆえ」

 

という理由を知った時、

 

とても嬉しくなった事を思い出します。

 

不動明王 - Wikipedia

仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。

 

まあ、

 

私の暴力性とは、全く違う次元の話です・・・・が、

 

とても私は安堵した事を覚えています。

 

つづく