わたしからあなたへ

「ブログかけ!」というお言葉を頂きましたので、恐れ多くも挑戦中です。私に起きた不思議な物語の第1章を無事書き終える事が出来ました。しかし不思議な流れは力強く私を運び続けています。「あなた」が目に映る世界が苦しいと感じるのであれば、その心を「ほんの少し温める」一助になれば幸いです。泣いて笑って共に世界を味わいましょう。

なにが勇気だ?③

「それは勇気か?」

山, キャニオン, 風景, 旅行, アドベンチャー, 登山, 崖, 高, 急です, 高度, ハイカー

「勇気」byPixabay 

 

 

 ふと、後ろを見ると、

 

 高所恐怖症である私の友人は、

 

約50メートル下の海が見える、

 

透明なガラス板の手前で、

 

震える小鹿のようにガクガクと立ちすくんでいた。

 

 

ああ、彼は俺だと思った。

 

その気持ちが自分のことの様に理解出来た。

 

 

彼は奈落の底を見つめて、

 

強張った表情を浮かべた。

 

お腹の辺りを抑えながら、

 

片足を恐る恐る乗せていた。

 

 

彼には、そこの上に立つという事は、

 

ものすごい勇気を必要としていた。

 

 

俺は彼を横目に、

 

自分自身の心の中の動きを確認するように、

 

そのガラスの上に何度も立ってみた。

 

 そこに立つ事に勇気はいらない。

 

何度も、そこの上に立つほど、

 

怖れはなくなり、

 

もはや好奇心もなくなり、

 

刺激のある景色が見えるただの通路として映った。

 

高所に恐れを抱く人にとっては、

 

平然と歩く俺は見様によっては、

 

勇気があり、度胸があり、

 

精神的に強いという印象を与えるかもしれない。

 

しかし、それは嘘だ。

 

それとこれは全く関係がない事だ。

 

ただ刺激を楽しんでるだけだ。

 

そこに克己などない。

 

克己とは?

自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと

 

 

高所恐怖症の彼は、目を閉じながら、

 

深呼吸をして、

 

怖れの中で震えるような一歩を踏み出した。

 

そして怖れながらそこに立った。

 

 

彼は勇気を出したのだ。

 

勇気があるのは、

 

俺ではなく彼なのだと悟った。

 

 

何故ならば、

 

俺はそこに立つ事に勇気を必要とせず、

 

好奇心や快楽(スリル)を求める心があるのみ。

 

怖さはスパイスの様なモノで、

 

より快楽を高める材料だ。

 

克服するべき己などいない。

 

 

しかし、彼は違う。

 

彼は恐れの中で目的を達した。

 

目的のために、

 

恐ろしい感情を乗り越えたのだから。

 

つまり、本当に勇気や度胸があるのは、

 

彼なのだ。

 

俺は以前まで、

 

命の危険のあるスポーツを果敢に挑戦する人に対して、

 

何か別人種の様に感じていた。

 

俺にはない度胸や勇気を持っている人間なのだと。

 

そうかもしれないし、

 

実はそうではないかもしれない。

 

克己を必要としないのなら、

 

ただスリルの気持ちよさ、

 

開放感といった刺激を求めているのに過ぎないのだと思った。

 

誰でも出来る。

 

そこに勇気はいらず、

 

乗り越えるべき己もいない。

 

ただ楽しいからやるのだから。

 

勇気があるとは

 

恐れの感情の中に包まれていてもなお、

 

目的のために、

 

その一歩を踏み出す力の事なのだ。

 

 

 つづく