「令和2年第170号誕生」byS
なにごとの
おはしますをば
しらねども
かたじけなさに
なみだこぼるる
※西行が伊勢神宮を参拝した時に詠んだ歌
西行(さいぎょう、元永元年〈1118年〉 - 文治6年2月16日〈1190年3月31日〉)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人でもある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、後に西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。
父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。
和歌は約2300首が伝わる[1]。勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)、『山家心中集』(自撰)、『聞書集』。その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。