わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳により運を添う②

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「生きる」新井芳洋 書

前回、聖書の事に触れたので、

 

今回も少し書きたいと思います。

 

 

私達は数ヶ月前までは、

 

幸運にも牧師さんから、

 

週に一回聖書を学ぶ時間を与えられていました。

 

ただ読むのと、

 

その背景を教えて頂き読むのでは、

 

言葉の受け取り方が、

 

雲泥の差がある事が理解出来ました。

 

 

私の仕事場の壁には、

 

聖書の祈りと聖句のポストカードが貼ってあります。

 

牧師さんから頂いたものです。

 

 

私は仕事を始める前に、

 

祈りの言葉と、

 

そのポストカードの言葉を、

 

そっと小さな声でその言葉を読み上げてから、

 

仕事を始めています。

 

 

その聖句の一つ

 

旧約聖書 ヨシュア記 1章9節

わたしはあなたに命じたではないか。

強くあれ。

雄々しくあれ。

恐れてはならない。

おののいてはならない。

あなたが行くところどこででも、

あなたの神、

【主】があなたとともに

おられるのだから。

 

 

あの偉大なモーセに代わり、

 

イスラエルの民を導くヨショアに伝えられた言葉です。

 

このシーンは私がとても惹かれる箇所でもあります。

 

 

聖書を読むと、

 

人という存在の弱さや強さ、

 

その全てが書かれてるように思えます。

 

そして、創造主とはどんな人格を持ち、

 

どれほどの力を持つのかを知る事が出来ます。

 

 

神は愛。

 

穏やかで、どんな時でも優しい・・・

 

 

旧約聖書を読めば、

 

そんな幻想を粉々に打ち砕いてくれるでしょう。

 

 

その激しさ

 

その優しさ

 

その徹底さ

 

その許し

 

その怒り

 

その大きさ

 

その厳しさ

 

でもつまるところ、

 

神の愛ゆえの発露なのです。

 

私はとても惹かれるものがありました。

 

旧約聖書を読み終え、

 

新約聖書に突入した時、

 

そのあまりの内容の転換に、

 

かなり戸惑ったのを覚えています。

 

 

なるほど、

 

それはそうだ。

 

 

旧約の律法を信じ実践してきた民にとって、

 

イエスキリストを受け入れるのは困難だと。

 

 

そうか、

 

それで、戦争や争いが起きているんだなと。

 

深く理解出来ました。

 

 

信仰が真剣なら、真剣なほど、

 

受け入れ難い。

 

 

私は旧約聖書の言葉の力に惹かれました。

 

新約聖書は人間の匂いを強く感じ、

 

旧約聖書の方が純度に関しては軍配が上がると思いました。

 

 

ただし、

 

イエスキリストの弟子たちの描写による

 

生き様は、本当に胸を打つものがありました。

 

 

聖書を読んで良かった事は、

 

「祈り」の意味が、

 

私にも理解出来た事です。

 

 

「祈り」の持つ力。

 

祈りは天に通じ、

 

神をも動かす力。

 

祈りこそ全てと言っても、

 

大袈裟でもないような気がしました。

 

 

今回のタイトルの言葉は、

 

日本で生まれた言葉ですが、

 

私には、

 

聖書でも全く通用する言葉だと思いました。

 

 

神さまは、

 

人の祈りを必要とされている。

 

それはとても嬉しい事ではありませんか。

 

さて、今日は何だかガッツリ聖書の話になってました。

 

 

最後に私が聖書を読み終えた時に、

 

忘れられない出来事を一つ。

 

 

聖書を読み終え、

 

聖書を閉じ、

 

こう言いました。

 

「神様 

 

 私に必要な言葉をください」

 

と。

 

そして、分厚い聖書の1ページを、

 

エイヤっと開きました。

 

 

その箇所は、

 

ヨハネが民衆に洗礼を授け、

 

キリストの存在について

 

その洗礼について語るシーンです。

 

 

「洗礼」

 

当時、牧師さんからの洗礼へのラブコールが強かったので、

 

まるで聖書からも洗礼を呼びかけられている様でした。

 

 

いやー

 

俺、日本の神様とか聖書の神様とか

 

区別してない、

 

聖書的には許されない人間なんで・・・

 

あとは、人の集まりとか苦手なんで。。

 

神社大好きなんで・・

 

などと言い訳をして、

 

 

恐る恐る静かに聖書を閉じました。