わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

父について③

「父という人」

アフガニスタンにて 私の面影を残す父



私は、男性性も強いとは思うが、

 

女性性も実感する事がある。

 

しかし、

 

父は完全に男性性の存在で、

 

雄であり、父性だ。

 

 

だから、幼い頃の私は、

 

父に甘える、わがままを言う事は、

 

すでに最初から求めていなかった気がする。

 

父は独立しており、

 

家の揺るぎない長であり、

 

何か大事な時に相談する存在だった。

 

父と一緒になって遊ぶという経験は、

 

あまりなく、

 

父は遊ぶ環境を整えてくれて、

 

そこで私達を存分に遊ばせるといった感じだった。

 

 

例えば、

 

中学生の時、

 

仲の良い友人とキャンプをしたいと思った。

 

父に相談すると

 

「ヨシ、分かった」

 

と丹沢の上流まで数時間かけて、

 

中学生の2人を連れ出してくれ、

 

「明日の◯時に迎え行くる」

 

と言って、父は家に帰っていった。

 

その後、私達2人は、

 

興奮とスリルを味わいながら、

 

テントを張ったり、

 

釣りをしたり、

 

テントが強風で吹っ飛んだり、

 

夜の寒さに震えたりと

 

一生の思い出になっている。

 

 

また、小学生の時、

 

家族全員で父が運転する三菱デリカに乗って、

 

フェリーを利用し、海を渡り、

 

北海道一周の旅をした。

 

時にペンション

 

時にキャンプ

 

をしながら進む旅は、

 

本当に冒険の様で忘れられない思い出だ。

 

また大学生の時、

 

重度の身体障害を持つ友人を

 

海にある実家に連れて行きたい

 

と父に相談した。

 

動くのはわずかな稼働範囲の手。

 

父は

 

「分かった、考えてみる」

 

といって、

 

数日間、

 

父はいろいろ調べていたようだった。

 

「待ってます。

 是非、来てくれ」

 

と返事をもらった。

 

父はその重度の友人が来る日の前日、

 

夜中に居間に降りてきた。

 

わたし

「どうしたの?

 寝れないの?」

 

「明日、

 その友人達が来ると

 思うとワクワクしてな」

 

その言葉はとても印象に残った。

 

 

父は私の友人達を温かく迎えいれ、

 

釣りにも連れていってくれた。

 

 

父は事前に車椅子が利用出来る、

 

トイレのある港の駐車場を探し出し、

 

さらには、重度の障害を持つ友人が

 

釣りを楽しめる事ができる様に、

 

父が自作した釣りの道具を用意してくれていた。

 

おかげで、

 

わずかな稼働範囲の手でも釣りが出来、

 

友人は生まれて初めて魚を釣った。

 

 

私が父という立場になった時、

 

こんな風にしてくれた事の、

 

いろんな意味で凄さを想う。

 

もちろん経済力も含まれる。

 

自分にはとても真似出来ないなあと思う。

 

それらの経験は私の心の中の糧となっている。

 

 

父に対する印象は歳を重ねる程に変化した。

 

若い頃は、

 

父は自分の人生を生きる事で忙しく、

 

私達に関心が薄いのだと思う事もあった。

 

しかし、

 

自分が父親になった時に、

 

父が経験させてくれた、

 

キャンプや釣りや旅など、

 

与えてもらった豊かさに気づいた。

 

そして、ずっと見守り続けてくれたのだ

 

という事が分かった。

 

 

私は子供を育てる際に、

 

父が私達にしてくれた経験、

 

自然と遊ぶ事の楽しさ、

 

私なりの小さな範囲で提供し、

 

また私が父にして欲しかった、

 

一緒になって遊ぶという経験を、

 

私なりに実践しているつもりだ。

 

 

私は子育てを通して、

 

父が如何に忍耐強く、

 

私を見守ってくれたのかに気づいた。

 

私は坊主(長男の事)を、

 

おもしろおかしく記事にしているが、

 

私は坊主よりずっといろんな意味で

 

酷かった様な気がする(笑)

 

母からも坊主より、

 

あなたの方が大変だったよ。

 

と言われた。

 

 

勉強はしない

 

習い事のエレクトーンで、

 

リコーダを吹く。

 

友人が数十人家に来て、

 

何をしているのか分からない。

 

何かに夢中になっては飽きる。

 

と、私が自分を育てたなら、

 

激烈に怒り狂う様な行動を

 

日々過ごしていた様に思う。

 

 

思い返すと、

 

父はよっぽどの事がない限り、

 

生活について口を出さなかった。

 

いやほとんど何も言わなかった。

 

放任主義とも言えるし、

 

忍耐強く見守っていたのだ

 

とも言える。

 

坊主程度の事で、

 

心を揺らす私には到底真似できない。

 

 

自分が親になって分かるが、

 

私の幼少期は、

 

本当にいろんな意味で心配だったろうに・・・

 

両親には頭が下がる。

 

しかし、

 

ここは大事な時!

 

という人生の節目では、

 

父は私の背中を支えてくれた。

 

 

つづく

 

 

「あなたへ」

 

言葉というのは不思議なもので、

 

私にとって、

 

考えるというよりも、

 

溢れ出すといった感覚です。

 

だから、書こうと思った時、

 

大まかなテーマを決めるだけで、

 

あとは、構成などはありません。

 

書きながら、

 

こんな事を書くんだなーと

 

自分の文章を読んだりします。

 

イメージは、

 

お腹の中に、

 

すでに伝えたい材料があり、

 

それを表現し切ると

 

スッキリします。

 

うまく表現できていなかったり、

 

不足感があると、

 

サインが送られ、

 

それに相応しい言葉が何度も頭をよぎります。

 

自分の中の何かが教えてくれるみたいに。

 

ブログを投稿した後に、

 

消化不良があると、

 

何度も言葉の修正が入ります。

 

だから、いつも8割の完成で、

 

投稿して、1日経って

 

ようやく完成する感じです。

 

なぜ、最初から完成してから投稿しないかというと、

 

待てない!

 

からです。

 

早く投稿して

 

スッキリしたいんです。

 

なんにせよ、

 

8割の男なのです。

 

初動から完成の形までは、

 

動きは早く猛烈なのですが、

 

後少しで、完成といった所で、

 

面倒になる!!

 

そういった欠陥を抱えながら、

 

今日も生きているのです。