わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

不思議事件簿

オジサンのスタンス

天川大弁才天を指し示す「売上スリップ」

 

これから、オジサンに実際に起きた、

説明のつかない

不思議現象についての記録をシリーズ化する。

 

2016年を皮切りに、

まあそういった現象が本当に沢山起こった。

 

そして2022の年末からそういった現象が、

質的・量的にも具体性を増して

明らかに増えている。

 

不思議とは、常識ではあり得ない事。

偶然では片づけられない事。

目に見えない霊的な世界の事かもしれない。

 

オジサンは現実主義者であり、

体験主義者でもあるので、

相当疑り深い性格でもある。

 

だからそういった現象が起きる度に、

そのような現象が起こり得る可能性の

現実的な理由を探す。

 

その私が

まあこれは、完全に意味不明だ

というのは沢山あった。

 

オジサンは、

別に超常現象や霊的な現象が起きる事を、

歓迎していたタイプではないという事を、

まずは表明させてもらいたい。

 

だから、なんでそんなタイプのオジサンに、

こんな現象が沢山起きているのか?

本当に謎の一つだ。

 

だが、

起きる事にも何かしらの意味が

あるかもしれないという事で、

備忘録として記録を残す。

 

この先の未来で、

深い理解が生まれる可能性もあるためだ。

 

また、

なんかそういう理屈を超えた現象の自由さは、

笑っちゃう事も多い。

 

だからよく職場や家族で、

その話をネタにしたり、

その現象の原因の究明を、

みんなに考えたりしてもらったりしている。

エンターテイメントの一つとして。

 

さて、今回はシリーズ化(多分)に伴い、

 

オジサンのそういった事に対する

基本スタンスを表明したい。

 

本音で書くので言葉が荒いのをお許しあれ。

 

何故ならば、こういった現象に興味を持って、

私に近づかれたくないからだ。

そんな人間に関わってる暇はない。

 

オジサンは、真っ当で誠実な人間が好きだ。

それは、

現実の目の前のやるべき事をやり、

役割に応じるって事だ。

スピリチュアルをやる人の特別感が気色悪い。

目に見えない不思議ばかり追いかけ、

現実的にやるべき事もやらない人間が嫌いだ。

 

 

まず

①スピリチュアルについて

オジサンは現代のスピリチュアルと

呼ばれているものに、

おおかた

嫌悪している。

 

ただし、

もちろんこいつは本物だ!

とか、なんかとても気になる!

この人は好きだ!

という人達も少なからずいます。

(語調を変えます)

が非常に少ない。

 

私の中にそういったものを

識別するセンサーがあり、

(そのセンサー狂ってないか・・)

 

偽物・本物・気になる

などの反応が瞬時に起こります。

 

大抵紛い物は

(偽物)

強烈な不快感を感じる。

 

本物は、

心が嬉しくなる。

 

うーん、特別詳しい訳ではないですが、

古典的なスピリチュアルは好きです。

日本の霊的な話も、神話も、

戦前後の宗教の教祖の逸話とか、

常岡一郎さんとか、

またラーマクリシュナとか、

まあ、いろいろ惹かれる人が多い。

が、現代書店に置かれている

スナック菓子の様な

お気軽なスピリチュアルは、

目に入るものしんどい。

 

②過去生・生まれ変わりについて

 

私の過去生は

レムリアの神官だったんです!

 

オジサン

知らねーよバカ!

じゃあ

目の前にいるお前は誰だ!

過去の物語にすがっても、

今のお前が大した事ないなら

確実に大した事ないんだよ!

どーでもいいわ!

 

とオジサンは言っちゃいます。

ただし、

私は、輪廻転生も過去生も

あるのではないかと思っています。

私自身、

そういった説明のつかない記憶や

感覚を思い出す時があるからです。

でも、それは終わった事。

そのために記憶が消されてるのですから。

そういったものの確信がある方は、

もっと自然なものです。

人であれば、

前世の生きていた時の記録さえ見つかるでしょう。

 

過去世が誰だったという事で、

自分を誇る事は非常に恥ずかしい事だと思います。

今の自分を誇れるようにおなりなさい。

 

③守護霊など

私の守護霊は〇〇です!

 

オジサン

知らねーよバカ!

じゃあ目の前にいる

お前は誰だ!

守護霊が凄くても、

今のお前が大した事ないなら

確実に大した事ないんだよ!

 

と上記と同じ対応になります。

 

私としては、目には見えないけれど、

守護霊なのか宇宙人なのか?

分かりませんが、存在すると感じています。

証明は難しいですが、導きがあるのは確かです。

 

でもここでも同じく、守護霊が立派でも、

自分が低俗なら低俗です。

多分、現在の自分の在り方と守護するものは、

帳尻が合うようになっています。

また安易にメッセージを送ってくる場合、

その存在も非常に人間に近い存在で、

良いも悪いも含んだ存在の可能性が高い。

だから、全てを鵜呑みにするのは危険だと私は思います。

そういったメッセージは話半分で聞き、

バランスを持って聞くのが大切です。

それらの真贋はその人を見れば分かります。

(私は聞かれても言いませんが)

 

自分の判断を最優先する事。それが大事です。

守護している者が誰かなんて考えるより、

今の自分を、今の生き方を、

正しく見る事が大切だと思います。

 

④悟りやワンネスについて

 

私は悟ったぞー!

世界はワンネスよー!

 

オジサン

黙っとけバカ!

すぐにさめるから。

 

どんな事も感じるでしょう。

歓喜も、高揚も、愛も。

絶望も、虚無も。

それは一つの状態で、

すぐに通り過ぎます。

そして、

また未知なる現実を生きてゆくのです。

 

一時的な状態でもう終わったのに、

一生懸命しがみついている人もいます。

その体験を麻薬の様に味わいたくて。

 

その人は真実ではく、

記憶と生きているだけです。

 

その快楽を体験するために、

必死に坐禅や瞑想をする。

まあ、それもいいでしょう。

何でもやるだけやった方がいい。

でも、

それは行為であり、

本質的にずれているのではないかと思います。

 

私は、瞑想や坐禅は、

もっと自然なもので、

お風呂に入るような、

睡眠の様な、

呼吸するような、

そんな自然さをもったものだと感じています。

 

とまあ、第一回は、

オジサンは

こんなスタンスである

という事を

表明させて頂きました。 

              以上

 

「あなたへ」

 

オジサンってば・・・

 

あんたあ、

よく言えるな!

マジで神経すごいよ!

 

オジサン

ヒへへへへ

オジサン言っちゃうんだあ