盤珪和尚
私が最近、大騒ぎしておりました、
盤珪 永琢(ばんけい ようたく/えいたく、元和8年3月8日(1622年4月18日) - 元禄6年9月3日(1693年10月2日)[1])は、江戸時代前期の臨済宗の僧。不生禅を唱え、やさしい言葉で大名から庶民にいたるまで広く法を説いた。法名を授けられ弟子の礼をとった者五万人あまり。
このお方にハートを撃ち抜かれました。
私が語るのは、大変おこがましいと分かっておりますが、このお方は別格に感じています。
釈迦やイエス様と同じ匂いを感じてしまうのです。
このお方の真理に対する誠実さ。
厳格さ、そして、泣けるような愛情深さ。
盤珪和尚の逸話集を読んでいて、
まるで聖書のイエス様と重なりました。
何がすごいって、臨済宗に関わらず、
公案を用いなかった事。
また禅宗、
特有の形骸化した禅問答に対しての否定。
ここは日本だ!と漢文を用いる事に対しての否定。
また経典を用いず、自らの言葉と平易な言葉で、一人一人に応じた説法で真理を分け隔てなく伝え続けました。
現在でも盤珪和尚の語録が残っており、
その言葉に触れる事が出来ます。
語り口は優しいですが、その真実に対しての、向き合い方は徹底されています。
お殿様にも激怒りしたり、
無実なのに犯人扱いされて、それをそのままにしていたり、
当時の社会の女性に対しても、誠実に向き合い仏心においては、なんの違いもない事を伝えたり、
弟子たちと違う上等なご飯が出ると、激怒りしたり、
超能力があるのに気づかず、弟子に言われて二度とそういう事は言わなくなったり、
坐禅をしながら寝ていた者を、叩こうとした者を怒ったり、
狼の喉に詰まった骨を取ってあげたり、
癩病の人間よりも、それを見て嫌がってるお前の心が汚い!と弟子を怒ったり、
とにかく、
一点の曇りなく不生の仏心を説かれ続けました。
それはまるでイエス様が、主に対して一点の曇りのない信頼や、あらゆる人々との関わっていた態度と非常に重なります。
とにかく、
激しくも慈愛に満ち心が美しい人です。
イエス様も、激しいお人でした。
しかし、あまりに突出していたため、
盤珪禅師がご存命の間は隆盛をふるいましたが、
その後の不生禅は白隠和尚から批判を受けるまでの状況に至ったそうです。
とにかく私は奈良県の山の庵に行ってしまうほど、強烈に心を惹かれました。
私が同じ時代に生きていたら、100%弟子入りしたことでしょう。
とまあ、ものすごい適当さで、
ご紹介を終わります。
『あなたへ』
天河神社に行った翌日に、
なっちゃんのお母様から寄贈して頂いた、
事業所のメイン時計が止まっていました。
2年経ったので、電池切れでした。
なんとタイミングの良いこと。
天河神社に行って、法人の感謝のご祈祷をして、
また新しい流れがきっと生まれるんだろな。
と感じていました。
何かの節目に時計が止まる事は、
今まで何度も経験してきました。
新しく電池を購入し、
2年間、事業所を見守り続けてくれた、
トントロムシ時計を綺麗に掃除しました。
そして、新しい電池を入れて、
また新しい時間が流れ出します。
どうぞよろしくお願いします。
さて、天川で頂いた稲の苗。
どこかで田んぼをいきなり借りたい気持ちを、
抑えて抑えて、
まずは、ちゃんと継続して世話が出来るか、
ミニ田んぼから挑戦する事にしました。
土づくりのために、3種類の土を用意して。
ミニチュア田んぼの容器を用意
土を配合して、混ぜ混ぜ。
水を入れて、混ぜ混ぜ。
田植え!
水を張り完成!
苗は余りまくってるので、
まだまだ作れます。
成長が楽しみです!
明日は事業所で植えた畑のジャガイモを収穫です!