わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

父について⑦最終回

「私からの贈り物」

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ネパールにて 標高4500m シェルパ ポーターと父

ハイキングのつもりだったが、10日間かけて4500mの山を登頂してしまった父。薄着のシェルパ達に服を貸したり、吹雪によって、仲間とはぐれてしまったりした。毎日30km歩き、足の裏は靴が合わず、ズルむけてしまったエピソードがある。

 

 

さて、今回で最終回となる。

 

思いがけず長期連載となった。

 

こんなにも父の事で伝えたい事があったのだと、

 

自分自身でも驚いている。

 

書ける事はいくらでもあるが、

 

物語はいつか閉じられなければならない。

 

さて、最後に何を伝えようか。

 

 

父が父として、

 

生き続ける事が出来たのは、

 

母の存在があったからだ。

 

母は父とは全く対照的な人だが、

 

父を生涯支え続けている。

 

 

父は、母がいなければ、

 

こんなにもいきいきと人生を、

 

生きる事は出来なかったろう。

 

そして、

 

母にとっても、父の存在が必要なのだ。

 

 

たしかに、周囲からみれば、

 

一見、父は理不尽にも見える時もあるだろう。

 

そんな気性の激しい父と

母はよく一緒にいられるなと、

思われる事もあるかもしれない。

 

しかし、本当はそうではないのだ。

 

どんなに理不尽に見えても、

 

母は、父の本当の優しさを知っているのだ。

 

その真っ直ぐな優しさと、

 

誰にも代わりがきかない愛情深さを、

 

母は誰よりも知っているはずだ。

 

母は、父に人生を全てを預け、

 

父も母に人生を預けている。

 

私にはそれがわかるのだ。

 

 

どうして私が、

そんな分かった様な事が言えるのか?

 

それは、

 

私が家庭を失った経験を持ったからだ。

 

失ったものにしか、見えないものがある。

 

 

私の様な欠落人間が、

 

ようやく人並みの人生を送り、

 

家庭を持って生きていけた事に、

 

両親はどれほど安堵したのかは分からない。

 

しかし、その安堵を、

 

私は保ち続ける事が出来ず、

 

こんな年齢にもなって、

 

再び心配をかけた事を、

 

心からお詫びしたい。

 

 

父と母の様な夫婦の関係性を保ち続ける事は、

(形式ではなく、夫婦という信頼関係)

 

本当に奇跡に近いと思う。 

 

形式だけの夫婦なんて、

 

私には意味がないと思っている。

 

 

相手の不信感や悪口を言いながら、

 

子供のために、親のためにと大義をつけるのも、

 

私には何か虚偽を感じてしまい、

 

そんな風に生きる事も出来ない。

 

 

逆に夫婦の関係性が、

 

どんなに、大丈夫。

 

問題ない。

 

ずっと続く。

 

そんな風に思っていても、

 

それは突然、形を変えてしまう事もある。

 

それは、

 

自分の言動の結果でもあり、

 

相手の言動の結果でもある。

 

そして、

 

私たちには為す術のない、

 

天意によるものもあるのだ。

 

 

私は父が生涯、母を信頼して、

 

生きて死んでいける事を本当に羨ましく、

 

素晴らしいと思う。

 

 

父の純粋さで、

 

母との信頼関係を失ってしまう状況がもし、

 

起きてしまったら、

 

父はもう生きてゆけないと思うからだ。

 

だから、

 

父の相手が本当に母で良かったと思う。

 

生涯にかけて信頼足る人と出会えた事を。

 

 

今でも父は充分力強く生きているが、

 

74歳になるのかと思うと信じられない。

 

私にとって、父はいつまでも父のままだからだ。

 

 

この前、帰省した時に姉と父の事を話した。

 

 

お父さんって、すごいよね。

 

あんな風に生きてこれて。

 

人生を本当にまっとうしてるね。

 

あんな風に普通生きれないよね。

 

 

そんな会話をした。

 

 

姉も父と、ぶつかってきた人だ。

 

 

父の存在はあまりに強かった。

 

子供に媚を売る様な人ではない。

 

だから、

 

まだ生活をかけて必死で働いた経験もない、

 

親にもなった事もない、

 

当時の若い私達にとっては、

 

父が見ている風景が分からず、

 

理不尽と感じていた事もあった。

 

しかし、

 

私達が年齢を重ねて、

 

生活をかけて働く事。

 

子供を育てる事。

 

自分がどんなに苦しくても、

 

子供のために働き続けなければ、

 

ならない立場に立った時、

 

父がしてきた事が、

 

どんなに偉大な事だったのか、

 

ようやく私達は理解が出来た。

 

 

そして、父にとっての孫、

 

私達の子供達に対しても、

 

父にしか出来ない、

 

経験や愛情を与えてくれている。

 

 

子供達は、

 

父が経験させてくれる、

 

海での遊びがどんなに楽しかったかを、

 

いつまでも話している。

 

 

父の生き様を見ていると、

 

自分が恥ずかしくなる時がある。

 

父は全力で生き、

 

全力で怒り、

 

全力で楽しみ、

 

全力で悲しむ。

 

 

私の様に、

 

哲学や宗教といった精神世界を学ぶ事なんて、

 

なんだか女々しく感じる時がある。

 

父にはそんな世界を最後まで、

 

学ぶ事なんてせずに、

 

その生き方を全うして欲しい。

 

 

父はきっと、

 

神様か、ご先祖様か、分からないが、

 

ご加護を受けてきた人だなと感じる。

 

どうか最後まで、

 

ご加護を与えられます様に。

 

 

さて、

 

そろそろこの父についての、

 

お話しも終わりにしよう。

 

これが父に対しての、

 

贈り物になったかは分からない。

 

でも、悔いなく書いたと思う。

 

 

私は最初から、最後まで、父にとって、

 

心配を散々かけてしまう存在だったに違いない。

 

けれども、

 

私も父に負けずに、

 

これまで精一杯生きてきた。

 

欠陥を抱えながら、

 

たくさんの人に迷惑をかけたには違いないが、

 

一度足りとも人を苦しませたいなどと、

 

思った事はない。

 

私に出会い、

 

私と触れあった人には、

 

いつだって、いまだって、

 

幸せになって欲しいと心から願っている。

 

でも、うまくいかない事も沢山あった。

 

 

ただ自分が死んだ時、

 

神様がいるなら、

 

誰も知らない事、

 

誰も見た事もない事、

 

俺がどんな想いで生きてきたかを、

 

神様なら知っているはずだ。

 

そんな神様ならきっと、

 

よく頑張ったな

 

と言ってくれると私は思っている。

 

 

精神世界では、

 

子供が親を選んで生まれてくる

 

という説がある。

 

 

そうであるなら私はきっと、

 

世界中の父親の候補から、

 

私にとって、最高の父として、

 

あなたを選んだに違いない。

 

 

 

               おわり

 

 

「あなたへ」

 

無事、書き終えました。

 

今は、3月1日の23時前です。

 

今日は甥っ子のリーの誕生日だな。

 

おめでとう。

 

社会人もあと一月で、

 

丸一年経つな。

 

本当によく頑張ったな。 

 

就職お祝いとして、

 

一緒に買いに行ったカトリも元気かな?

 

香取神宮への旅⑥完結 - わたしからあなたへ

 

さて、この1週間は、

 

仕事に家事にブログに、

 

なかなか大変でした。

 

でも、私にとって、

 

言葉を綴る事は、

 

とても大事な事なのかもしれないなあ

 

と思いました。

 

ただ、

 

いまだに、ブログをかけ!

 

と言われた本当の意味は回収出来ていませんが。

 

まあ、きっといつかわかるだろ。

 

まあ、とにかく、

 

書きたい事は書けた、よく頑張ったわ。

 

さあ、まだ今週は残ってるから、

 

はよ、ねよう。

 

 

あなたと私にとって、

 

素晴らしい一日になりますように。