わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

不思議事件簿②家の中で歩く者

車窓から見える不思議な6月27日の夕暮れ

 

不思議シリーズを書くと言って、

すぐ面倒になって止まってしまうこの心よ。

 

ここ数日も不思議な事が起こっていたようで、

ああ、書かなきゃなあと思い出しました。

 

どんな事あったっけ?

と思い出そうとしたら、かなり忘れていて、

「別に何にもなかったぞ」

と記憶を書き換えてしまいそうなので、

頑張って書こう。

書く時に、書かなきゃと思うエネルギーと、

書きたいというエネルギーは明確に異なるので、

前者の場合は疲労する。

 

この現象が起こったのは、

私の精神が破綻間際までいった、

2021年〜2022年が主だと思う。

精神的な安定をもたらした、

2023年からその現象は消えたかのように思う。

 

その現象をあきるほど確認したのは、

私だけでなく、子供達とトリニティだ。

 

むしろ初めは子供達から報告を受けた。

 

その現象とは、

家の中で見えない

誰かが歩いてる

という事だ。

 

客観的に書くと

こわっ!

その現象が2年間ぐらい続いた。

 

私が仕事から家に帰ってくると、

子供が、

「え?

 なんでお父さん

 外から戻ってくるの?」

 

と意味不明な事を言い出した。

 

話を聞くと、

『お父さんはさっきまで、

 キッチンにいて、

 階段あがって、

 部屋に行ってたでしょ?』

 

おじさん

「なに言ってんだ?

 今、社会に揉まれて帰ってきたとこだ。」

 

子供達

「うわー!こわー!

 じゃあ、だれなのー?」

 

姿を見たのか?と確認すると、

見てないという。

でも、

確実に歩く音(床の軋む音)。

階段を上る音。

引き戸をガラガラと

開ける音を聞いたというのだ。

 

こういった現象は日常的に起こり続けた。

 

ちなみに、私自身も誰かが歩く音を聞いている。

 

例えば、

1階のリビングにいる時に、

誰もいない家で確実に2階で歩いている音を天井から聞いている。

 

こういった現象が起こった当初、

私は物音がする際に、ダッシュで現場に走って確認をしたが、

誰もいない。

 

家の鍵を閉めて、さあ出かけるか!と思った時に、

部屋で歩く音が聞こえたので、

ダッシュで部屋中を探すがもちろん誰もいない。

 

我が家は、年代物の木造建築なので、

歩く音がよく響くのだ。

 

当初、なんの存在だか知らないが、

勝手に家の中を歩き回る存在にムカついて、

音が聞こえるたびにダッシュして、

見つけたらぶん殴ってやる!

と思っていたが、いないのであきらめた。

 

この現象が日常化して、

あ!また誰か歩いている

程度に慣れた頃、

ある程度の共通認識が出来た。

 

・姿は見えない事。

・怖い感情は生まれない事。

・歩くルートはだいたい決まってる事。

・現象が起こる時間帯に昼夜は関係ない事。

 

これによって、

歩いている存在の正体は、

全員一致で、

もう一人のわたし

(おじさんの事です)

という結論が出た。

 

その理由は、

その存在に怖さはなく、

「いない」と気づくまで、

みんな、私がいると思っていた事だ。

 

動作というのは、

それぞれ癖があるもので、

歩き方による床の音、階段の上がり方などは、

意外に姿を見なくても誰なのか?

その音で分かるものだ。

 

その存在が近くを歩く時、

「おとうさん!」

という声かけをするらしい。

が、いない・・・。

 

ドライヤーを乾かしている時、

リビングにいる時、

学校から帰ってきた時、

その音は私が歩いている音だと自然に思い、

声をかけているのだ。

 

しかし、

不思議なのは、私自身もその音を聞くという事だ。

もちろん、みんなで食事してる時、

『今、

 2階に誰かいるよね?』

という事は普通にあった。

 

またこんな事もあった。

昼過ぎに、仕事の資料を探しに、

トリニティと自宅に戻って来た際、

ガチャリと玄関のドアが開いた音がした。

 

二人とも、

子供が帰ってきたと思い、

「おかえりー」

と声をかけた。

しかし、学校が終わるには早い時間だ。

 

いつもなら、来るはずの子供が来ない。

何かおかしい?

と玄関に行くが、誰もいない。

 

玄関の扉は一般的な扉で、

重さもあり、

明確な意思をもって開けなければもちろん開かない。

外に飛び出し、周囲を見るが誰もいない。

イセも不審者だったら100%吠えるはずだ。

イセも平和な顔をしてる・・・

 

扉が、勝手に開いた・・・?

明確にそのガチャリと音を聞いた2人は信じられず、

実験をした。

私が玄関の扉を開け、その音を聞いてもらった。

その逆のパターンもやった。

その実験の結果、

我々がやった実際の開閉音より、

先ほど聞いた音の方が明らかに大きい事がわかった。

一体何なんだ・・・。

 

とまあ、そういう現象が日常化した。

ただ、経過を見ていくと、

その存在が歩くルートと、

私が普段歩くルートと

一致しているという事。

 

行動パターンはそれぞれある。

私は2階の自分の部屋から起きると、

階段をギシギシと下り、

キッチン前の換気扇の前にある椅子に座り、

まずはボーッと一服している。

私の定位置である。

 

特に当時の私の精神は追い詰められ、

無意味にその場所で、

完全な廃人として、

窓の外の光を眺めて、

ただボーッと過ごす時間が長かった。

 

そして、

再び、階段を登り自分の部屋の引き戸をあけ、

布団に逃げ込む日々を送った。

 

その見えない存在も、

私と同様のルートを移動しているという事が分かった。

そして、みんなが怖いと思わない理由も納得できる。

もう一人の私であるなら、まあ子供達も怖くはないわな。

 

私は霊感はないが、

その場の空気や、

よくない存在(人間とか物とか)

だという事には、

結構敏感で、

そういう時には、野生動物の様に、

身体的反応があるので、

なんとなく分かると思っている。

しかし、わたしのセンサーも反応しない。

 

自分の生き霊!!

が歩き回っている。

   (こわー)

 

という可能性が高いと思い、

いろいろ調べてみたが、

こういうケースは少ない様であまり対処も分からなかった。

が、聞いたことのある

ドッペルゲンガー

ではないか?

ドッペルゲンガー - Wikipedia

ドッペルゲンガー: Doppelgänger)とは、自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種で、「自己像幻視」とも呼ばれる現象である[1][2]。自分とそっくりの姿をした分身[1]。第2の自我生霊の類[3]。同じ人物が同時に別の場所(複数の場合もある)に姿を現す現象を指すこともある(第三者が目撃するのも含む)[2][4]。超常現象事典などでは超常現象のひとつとして扱われる[5][2]

ドッペルゲンガーの特徴として、

  • ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。
  • 本人に関係のある場所に出現する。
  • ドアの開け閉めが出来る
  • 忽然と消える
  • ドッペルゲンガーを2回見ると見た人も死ぬ

などがあげられる。

同じ人物が同時に複数の場所に姿を現す現象、という意味の用語ではバイロケーションと重なるところがあるが、バイロケーションのほうは自分の意思でそれを行う能力、というニュアンスが強い[2]。つまりドッペルゲンガーのほうは本人の意思とは無関係におきている、というニュアンスを含んでいる。

 

 

本人に関係のある場所に出現する!

ドアの開け閉めができる!

2回目見ると死ぬ! 

 

こわー!

かなり近いぞ!

 

しかし!

明確に異なるのは、

姿は見えない!

 

じゃ、違うのか・・・

 

 

しかし、それに近い情報を得た。

沖縄のマブイグミというものだ。

 

マブイグミ

人には7つのマブヤー・マブイ、つまり魂があると考えられています。
それがショックなことやびっくりすることがあるといくつかのマブヤーが落ちると言われていて、マブヤーがおちているのを放置すると、ぼ〜っとしたり、心ここにあらず、の状態になってしまいます。
そこで、落としたマブヤーを拾うというおまじないが昔から言われているマブヤーグミです。

 

これじゃないのか?

これに近い状況が起き、

まさに心ここにあらずという状態だ。

魂を落としたのか・・・

 

当時の状況はまた時間が出来たら書こうと思うが、

まるで夢の中を歩いている様に、

地に足がつく感覚がなく、

喜怒哀楽はなく、

喜び楽しいという感覚をもてる他者に、

尊敬の眼差しを持つほどだった。

 

その存在の音を聞く度、

もう一人の俺が肉体に戻れず、

彷徨っている。

 

もう死んでいいから、

もう一人の自分と会って

フュージョンするしかない!

(※ドラゴンボール参照)

と思っていたが、出会えなかった。

 

まあ、そんなこんなで、

精神の破綻が抑えられない臨界点で、

去年の誕生日にある島で修行し、

sintamsc.hatenablog.com

精神と肉体の一致をさせた私は、

廃人から人間の道を再び歩き出した。

(この事は許可を頂けたらまた書こう)

 

自分の肉体と精神が一致していくほどに、

 

子供達

「最近、

 歩いてないねー」

 

と歩く音は聞こえて来ない。

 

とまあ、こんな不思議現象が起きていました。

 

 

「あなたへ」

 

今日は午後から長女と、

素晴らしかった

 

を見に行ってきました。

車で1時間弱。

普段はこういうイベントにお誘いがあっても、

なかなか行くことはないのですが、

ガムランの生演奏を聴けること、

また衣装を着た踊り手のかおりちゃんを、

娘にも見せたかったので、行って参りました。

きっと長女なら何か感じとるのではないか?

と思いました。

 

ホールには驚くほど人が入っていました。

とてもいい席でガムランの演奏を楽しみました。

 

この鐘の音の様な響きと、リズムが、

どこかで聞いた様で懐かしく、

いつか生演奏を聴いてみたいと思っていました。

 

長女はその音楽を聴きながら、

宇宙にいるみたい!

と真剣に聴いていました。

 

踊り手のかおりちゃんが、

最後登場すると、

長女の視線はかおりちゃんに釘付けでした。

その後妙な表情をして、視線を逸らしていました。

 

あとで、

何で視線を逸らしたんだ?

と聞くと、

だって、神様が踊っていたら、

見つめていいかわからないじゃん!

 

と、神様を感じ取っていたようです。

めっちゃ良かった!

との感想でした。

 

確かに。

仮面をかぶったかおりちゃんの踊りは、

人外の存在感の迫力が確かにありました。

 

いやー、素晴らしかったです。

いい時間を過ごせました。

ありがとう!

 

これは今回のものではありませんが参考まで

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