わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

ホロスコープ(西洋占星術)⑤

4戦4勝

厳島神社

 

前回の続き

ホロスコープ(西洋占星術)① - わたしからあなたへ

ホロスコープ(西洋占星術)② - わたしからあなたへ

ホロスコープ(西洋占星術)③ - わたしからあなたへ

ホロスコープ(西洋占星術)④ - わたしからあなたへ

 

家族、子供、パートナーに重きをおいていない。

今生取り組む課題。

 

これは胸の痛む指摘です。

そうなのかもしれません。

 

私は若い時から結婚願望はとても希薄で、

本能的に自分は向いていないと感じていたものです。

 

ただ子供は仲間として可愛がるんじゃないかな?

とそんな感覚はありました。

 

当時結婚を決めた時、

私を知る仲間などは、

その意外性に結構衝撃を受けていました。

 

当時の私は使命を探し続けていました。

命を燃やせる対象を見つける事を。

 

私は結婚を決める条件として以下の内容を、

お相手に伝えました。

 

命をかけるに値するモノを見つけた場合、

私はそれに全てをかける覚悟を持っている事。

そのためにこれまで何とか生きて来た事。

状況によってはホームレスにもなる可能性すらある事。

一般的の人とは違う資質を持っているため、

みんなとは違う人生になる可能性が高い事。

 

私は「それでもよければ」

という条件をお相手に伝え、了承されました。

 

当時、

お相手も生きる事がうまく出来ず、

自分の足で立って生きてゆくのは、

困難な状況だったと思います。

 

 

私は欠陥人間でしたが社会的責任が生まれ、

新しい社会生活を精一杯頑張りました。

そしてお相手も精一杯頑張ってくれました。

そして、家族の幸せというものを、

沢山感じさせてもらいました。

 

しかし、時は流れ、

お相手は自分の足で立つ力を得て、

私も決して曲げられない想いを持つに至りました。

 

そして、現在があります。

私には後悔はありません。

後悔出来る選択肢などありませんでした。

 

家族、子供、パートナーに重きをおいていない。

今生取り組む課題。

 

という指摘の通り、

私はそれらに挑戦しましたが、

壁にぶつかり砕け散りました。

課題として今も残っているのかもしれません。

 

私自身は身近にいる存在達に、

重きを置いているつもりですが、

自己中心性の高い私と過ごす事は、

多くの苦労をかけている可能性があります。

いや苦労をかけているに違いありません。

この判定は非常に難しいです。

 

そこで今ゲームをしている坊主に

「お父さんと暮らすのって大変か?」

と尋ねると、

 

坊主

「うん!大変だよ」

と即答したので、

 

住まいや環境が変わりやすい。

うーんこれはどうなんでしょう。

18歳で生まれた街を離れ、

他県に在住し、また実家でしばらく過ごし、

また他県に在住しています。

実家・アパート・実家・マンション(共同)・アパート・アパート・住宅と考えると、計7回。どうなんでしょう?変わりやすい方なのかもしれませんね。

私は放浪タイプなので、

生涯定住する事を考えると、元気を奪われます。

理想としては、拠点を全国に複数持ち、

その拠点を移動しながら暮らしてゆく事が理想です。

という事で

 

コミュニケーション

イッターネット機器(最新機器)を利用するといい。文学的才能、言葉の才能に優れている。また、それを利用してお金を得る。

これは・・・

このブログはまさに現代の機器を使って言葉を表現している。

そして、自分では分かりませんが、ブログを書いていて、『言葉の才能がある』と何人の方にも言われました。中には編集者や本を執筆されている方にもお褒めを頂きました。嬉しかったなあ。

ただし、このブログの収入は一切ありません。

まあ、今後の期待も込めてを許してもらいましょう。

 

共感度がとても高い。過去世にセラピストとして、社会不適応になってた人々の面倒を見ていた。そのため、アドバイスが的確で人の共感を得やすい。直感を使ったアドバイスなど女性に対して有効。

過去世においては全く分かりません。

ただ社会不適応者の方に対して、

私は気楽さを感じます。

(自分が社会不適応の質があるからね)

また、私自身、正直、

人の相談を受ける事は好きではありません。

理由はとても疲労するからです。

しかし現実は人から重大な事を

相談されるケースは多いです。

また、人の苦しみを自分の痛みとして

理解出来る気が昔からしています。

周りの言うことは聞かなくても、

私の言う事は聞いてくれるという事は、

実際に何度か経験しています。

 

女性に対して有効?これはよく分かりませんが。

でもまあ、総合的にとします。

 

つづく

 

 

「あなたへ」

 

マスクの着用について|厚生労働省

<お知らせ>
これまで屋外では、マスク着用は原則不要、屋内では原則着用としていましたが
令和5年3月13日以降、マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本となりました。
本人の意思に反してマスクの着脱を強いることがないよう、ご配慮をお願いします。

 

さて、昨日(3月13日)から屋外でのマスク着用は原則不要となりましたね。

 

私は業務上、

マスクをつける機会は今後も多いでしょう。

 

自分の意志で必要に応じてマスクを着脱する事は問題ありません。

 

マスクを着用する事のメリットも多いからです。

 

今後も必要に応じて着用もするでしょう。

 

しかし13日以前まで、

 

強制的にマスクを強いられている感覚は、

本当に屈辱的でした。

 

その侮辱と怒りにも似た感覚を私は忘れません。

(みんなは感じなかったのか)

 

また人の良心につけ込み、

逆手に取った戦略を用いた事を、

決して私は許さない。

 

さて、マスク解禁の日。

 

世界の風景が変わるのだろうか?

 

人の笑顔や表情が

また見られる世界に戻るのだろうか?

 

と私は興味津々に世界を眺めました。

 

しかし、当日、

 

世界の風景は変わっていませんでした。

 

9割以上の方がいやもっとか?

 

屋外でも引き続きマスクを着用されていました。

 

正直、

私は何かがっかりした様な気持ちになりました。

 

でも、この地域的な理由があるのかもしれないと思いました。

 

さて、今日(3月14日)は名古屋駅に向かう用事がありました。

 

この場所であればどれくらいの方が、

 

マスクを着用し、

また外しているのかを確認するには、

もってこいの場でした。

 

そして今回は我が身で実験してみようと思いました。

この大勢の人間がいる中で、自分がマスクを外した時、

好奇の目で見られるのか?

また自分の心はそれらに対してどう動くのか?

 

萎縮なのか、喜びなのか、どんな感情なのか。

私は知りたかったのです。

 

私はマスクを外して新幹線の改札口まで向かいました。

その時、少しの勇気が必要でした。

そして、駅に向かう人々を眺めました。

 

衝撃的な程、

マスクを外している人はいませんでした。

 

私はこの風景と自分の心をよく見つめました。

 

体感では95%くらいの方が着用しており、

時々マスクを外している方とは、

お互い視線が合ったりしました。

 

私がマスクを外している事に、

周囲からの多少の視線は感じましたが、

 

思ったより大した事はありません。

(インドを旅した時の好奇の目の方が

 100倍凄かった)

 

また、心も特別揺れる事なく、

自分で選択が出来ている感覚があり、

清々しい気持ちすら感じました。

 

むしろ世界に対して

私が好奇の目で見ていました。

 

まだまだ世界は変わります。

 

世界の移行は静かに始まり、

ようやく誰の目にも明らかに変わってくる事でしょう。

 

悔いのないように。

かけがえのない人生の選択を、

私は他者の手に委ねない。