わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

内観への旅⑥(悪の暴露)

浄める 2023

「悪」という事にようやく触れられる。

内観研修を受けてから、

フト「悪」という事を考えている事が多い。

 

そして、世界は、

こんなにも堂々と悪意が広まっている。

 

悪については、

私のテーマにさえなっている。

 

それは私自身が内観研修を受け、

自分の中の「悪」を徹底的に見つけたからだ。

 

悪とはなんだろう?

 

まだ自分なりの答えは出てないので、

軽く触れる。

 

善悪の価値は視点をどこに置くかで

変わってしまうものだという事は忘れてはならない。

 

人間の視点なのか?

人間外の視点なのか?

今の視点なのか?

未来の視点なのか?

私の視点なのか?

他者の視点なのか?

どの立場の視点なのか?

 

いつ、だれの、どの視点で見るかで、

善悪は反転してしまう。

 

ただ単純に悪を考えれば、

己の利益のために他者に対して被害を与える事だ。

 

①悪意をもって為す悪

②無知ゆえに為す悪(悪と知らない)

③悪と知って、痛みを知って為す悪

 

さて、

3つの中でどれが最も悪なのか?

 

自覚があるという事が私は最も大切だと思うので、

③がもっとも救いがあると思う。

しかし、自覚という点で考えれば、

①の方が②よりマシになる事になる。

悪意だと知って、悪意を為す方がマシなのなか?

悪と知らないでやってしまう方がマシじゃないのか?

いやいや、悪を気づいてない方がタチが悪い。

そんな事を考えると、

①②の優劣が私には分からなくなる。

 

世界には沢山の答えがあるが、

自分には、はっきり分からない。

 

さて、内観研修の話に戻そう。

 

内観では、

「嘘と盗み」というテーマも扱う。

私はこのテーマで内観した事は、

本当に大きな衝撃と収穫を得た。

 

「嘘と盗み」とは、

自分の年代別についた嘘や盗みを徹底的に調べてゆく。

それは、借りたものを返さなかったり、

人の時間を盗んだという事も含まれ多岐に渡る。

 

幼い時の

例を出すと、

まだお金の計算が出来ない妹のお金を、

手助けする様に見せこっそりお金を盗んだ事。

 

小学校低学年の時、

クラスメイトから文房具を借りて、

返そうという意志すらなかった事。

 

その様な行為をした時間に還り、

自分の思考や感情を確認してゆく。

その作業を現在に至るまで実施する。

そうして、徐々に己の正体が暴露される。

 

作業を通して気をつけた事は、

私は自分を正当化する事は一切放棄し、

一切の悪を見ようと思った事だ。

 

幼い頃の時点で己の質として、

純然たる「悪」だと知った時、

私は泣いた。

 

面接官に報告する作業は、

本当に苦しいものだった。

悪が暴露される事を避けてきた人生だ。

それを自ら伝えるのだ。

私はこんなに「悪」なのですと。

 

最初の頃は報告する時は感情がコントロール出来ずに、

うめきながら伝えた。

 

そして、何度も何度もその作業を繰り返すにつれ、

涙は枯れ果て、

いつ頃か冷たい目で淡々と報告する自分に変わっていた。

今思えば、

私はその時「悪」である事を受け入れたのだと思う。

 

研修を終えて書いたノートにこう書いてある。

 

「正体」

悪である事。

悪人より悪なのは、

善人の仮面を被った、

本当の悪だという事。

だからタチが悪い。

善人だと周囲にも自分にも

思い込ませていた。

 

俺はあらゆる悪を為せる人間で、

人が見ていなければ(罪にならなければ)、

悪人だとバレなければ、

人殺しも盗みも、

あらゆる悪を本当に為せるのだ。

善人の仮面がバレさえしなければ。

 

偽って、偽って、

みんなを騙し続けて、

自分も偽って生きてきた。

そして、その偽りが自分を蝕んで、

自分さえ破滅に向わせた。

全ては必然で、

全ては理にかなって今がある。

 

こんな人間である事を表明し、

知られる事は大変辛い事だ。

 

しかし、

沢山の正当化と言い訳をもって、

自分さえ騙すほどに偽った人生だ。

 

だからこそ、

こうやって悪である事を暴露する事は、

新しく生まれ変わる儀式のようなものだ。

 

悪について考える時、

やっぱり思い出すのは、

親鸞聖人が説いた、

歎異抄の悪人正機説だ。

 

悪人正機 - Wikipedia

善人なおもって往生をとぐ

いわや悪人をや

 

意味としては、

善人さえ助かる

悪人ならなおさら

 

この言葉を

誤解しちゃいけない。

 

私は内観の作業を通して、

この意味がようやくよく分かった。

 

そもそも、

善人なんていないのだ。

 

善人ヅラした悪人と、

悪だと気づいている悪人がいる

 

つまり、

自分の撒き散らす悪にも気づかず、

自分を善人だと思っている大悪人が救われるなら、

自分の悪に気づいた人間が救われない訳がない。

 

という意味に間違いないと私は思っている。

 

こんな風に自分が悪人だと伝える事で、

大悪人よりマシだと思わせていると、

勘違いされては困る。

 

正直、私にある悪は、

そんな可愛いものではない。

 

悪の質から私は逃れられない事を受け入れた。

 

その時の想いを以下に書いてある。

sintamsc.hatenablog.com

 

私は悪人であるが、

悪だからこそ、

世界の悪意に気づく事ができる。

その悪意に気づけなければ、

善を守る事は出来ないだろ。

 

こうやって、正当性を書く事が、

私の悪の本質を暴露してるんだと思う。

 

内観の嘘と盗みというテーマは、

私にとって、辛く苦しかったが、

これから生きる上で本当に大きなきっかけとなった。

 

つづく

吉本内観への旅①(人生の地下工事) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅②(悪人への気づき) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅③(私のくびき) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅④(幻想) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅⑤(記憶の海底) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅⑥(悪の暴露) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅⑦最終回(内観について) - わたしからあなたへ

内観への旅⑧番外編(ウイルスの発見) - わたしからあなたへ

「あなたへ」


なんか、身体がだるい。

季節がまた変わるからでしょうか。

 

今日は夏野菜を植えた畑の雑草抜きをして、

秋の準備に備えました。

 

雑草の力強い根の張り方よ。

 

さて、

長女は期末テストを控えているので、

部屋にこもって勉強中です。

何も言わなくても、

勉強してるのが私からみると驚愕です。

がんばれよ。

 

坊主は

体調が悪いという事で火曜日は学校を休ませました。

ただし、

休むならスマホもゲームもなし!

という約束でした。

 

しかし、

坊主は見事約束を破りました。

 

バレちゃうんですね。

 

約束を破った坊主に、

「お前が

 お父さんの立場なら、

 ゲームの禁止期間は

 どれくらいだ?」

 

坊主

「3日!」

 

という事で、

ゲームもスマホも3日間禁止になりました。

 

その2つがないと、

過ごし方もかなり健康的にみえます。

イセと遊んだりする時間も増えましたが、

やたらと私に絡んでくるのが難点です。

 

外は秋の虫の声でいっぱい。

赤とんぼが飛んでいます。

 

さあ、また頑張ろう。