わたしからあなたへ

人生は不思議な事で満ちています。運命の出会いと別れを経て2017年11月20日に「ブログかけ!」というお言葉を頂きました。その不思議な物語の第一章を書き終えましたが、不思議な流れは更に力強さを増して、ようやくわたしは真を生きる事を決心しました。わたしもあなたも生きる事を味わい尽くし、善き旅路の果てで出逢いましょう。

内観への旅⑦最終回(内観について)

終わりの空2023

 

内観の期間はもちろんスマホも触らない。

(私は記録を見るために触ったが)

 

通常の日常生活とはかけ離れた時間を過ごす。

 

私をがんじがらめにした、

狂ったプログラム解除の期間としては、

必要な日数だったように思う。

 

私はこの内観作業に惹かれた点として、

自分の一切の立場・役割から解放されるという点だった。

 

もう疲れ果てていた、日常生活に、

自分の役割に、

やらなければならない多くの事から。

 

そこから解き離れ、

自分だけの時間がどうしても必要だった。

 

その願いは叶えられたものの、

内観作業は日常生活を遥かに上回る厳しさがあった。

 

厳しいというのは、自分がそれを望んだからだ。

 

内観作業を継続して取り組めたのは、

面接者の存在が非常に大きかった。

 

私がこの貴重な機会に、

私が望む結果を得られるために、

私に寄り添ってくれた。

そして、的確なアドバイスをして頂いて、

何度も奮起した。

大変なお役目だと思う。

 

他者のネガティブな言語のエネルギーを浴び続ける事は、

精神的に汚物を浴び続ける事と変わらない。

そして、聞かされた内容は、

どんな受け入れ難い内容であっても、

胸の中にしまって生きてゆくのだから。

内観療法に関わる方は、

何か使命感を帯びていないと難しいと思う。

その姿勢に頭が下がる想いだった。

そして、

よくよく修養されているのだと感じた。

 

私の人生の思い起こせる全ての罪や悪を、

忖度なく私は初めて他者に受け止めて頂いた。

 

それは、私にとって、

どれほどの重荷からの解放だったろう。

心より感謝したい。

 

また、音声資料があり、

当時の内観の報告と言った、

やり取りを聞かせて頂けるのだ。

それは昭和の時代のものが多かったと思うが、

内観作業を通して、人が変わっていく姿を、

生々しく聞かせて頂いた。

 

私は子に対する父というタイトルの音声テープが忘れられない。

父は子供達の内観を深め、誠実に語ってゆく。

私はそれを聞き、こころが共鳴して、

声をあげて泣いた。

その父は

「私を薄皮一枚めくったら、

 蛆虫が湧いている様に汚れている」

多分その様に表現されていた。

その自己を見つめる徹底的な正直さ、

そして、

その光の様な子供の存在に気づいた父は、

嗚咽を吐く様に、声を振り絞り、

面接者に報告をしていた。

 

そういった過去の内観の体験者たちの声に励まされ、

何とか期間をやり切る事が出来た。

 

最終日は、ああ、ようやく終わるという事で、

集中力も切れてしまい、終了となった。

 

結果を正直に言えば、

私が期待した大転換とはならなかったが、

私は妙な安堵感を感じていた。

 

自分の幻想が破れた安堵感という事もあるかもしれない。

 

ただ、自分の質というもの。

どの様な悪意?弱さ?卑怯さ?

そういったものの方向性が、

明確に理解出来た収穫は計り知れない。

 

気づきもしなかった、

自己の正当性に隠れる真の姿。

それが見つかれば、

自己を支配するプログラムから

解放される前提に立てる。

 

私なりに努力をしたが、私は凡夫も凡夫。

それが身に染みた。

それはある種の気楽さを生み出した。

 

研修の中盤で起きた忘れ難い体験は

「ああ、

 これを生きているうちに気づけた事は、

 どれほど有難い事だったのか!

 このかけがえのない時間を

 1秒でも無駄にしたくはない。

 どれだけこの気づきが重要か!

 どれだけ大切か!

 時間が許される限り

 もっと見つめなければ」

 

私は私の善性と表現したが、

この時の感情は今まで経験のないものだった。

 

人は死んだら、

自分の行ないの全てを見させられる

という話を聞いた事がある。

 

何かその感覚に近いのかもしれない。

しかも、

それを生きている間に、

気づく事が出来たかけがえのなさに、

心は歓喜する。

まだ残りの生で生き直しが出来る事に!

あんな過酷な内観作業に、

喜びをもって取り組めるゾーンがある。

自分が極悪人と気づいた時に、

善性は現れるのだから不思議だった。

 

しかし、目が覚めるとまた凡夫に戻ってる。

その時の自分が同じ人間とは思えない。

 

さて、

内観研修を人に勧めるか?

と問われたら、

私はうまく答えられない。

一生に一度は経験出来たら良いとは素直に思う。

 

しかし、内観には沢山の壁がある。

まずは研修期間の最低1週間という期間は、

社会人であり家庭があれば、

その期間を確保する事が如何に困難かという事が、

私には痛いほど理解出来る。

私はその期間を得るまで、

内観を知ってから20年間近くかかったからだ。

 

そして、そのハードルを超えて、

内観に臨んだとしても、

内観のスケジュールをこなしてゆくには、

相当な覚悟がいる。

朝の6時から夜の9時まで集中して取り組む。

それを1週間。

しかし、その期間は最低必要に思う。

最初の3日間は手応えはほとんどない。

中盤からようやく何か変わり始めるからだ。

 

そして、スケジュールをこなしたからといって、

変化があるかどうかは、

本人がどれほど自己と向き合ったかによって、

大きく変わってしまう。

そのため、

予定調和で終わってしまう事もあるだろうし、

罪悪感だけを増やしてしまう可能性もある。

 

中途半端でなく、

罪悪感も悪人ぶりも突き抜けた先に、

安堵が待っている。

本気度が求められると思う。

 

そういったハードルの高さは否めない。

 

しかし、

私の様に完全に行き詰まり、

もう変わらなければ未来はないという状況に置かれた方。

「死」というものがリアルに微笑み始めたのであれば、

死ぬ前に一度内観をする事をお勧めする。

 

死ぬくらいだったら、

休みの期間は何とかなるはずだ。

 

とまあ、やや厳しく書いてしまったが、

インターネットで探せばいくつも素晴らしい研修所はある。

内観は学生さんが受ける事もあるくらいだ。

もっと気楽にやってもいいのかもしれない。

 

本気で向き合えば、必ず得るものはある。

人によって、本当に生き方を人生を変えてしまう力があると思う。

そんな手法はそうそうある訳じゃない。

坐禅や瞑想とアプローチが真反対だが、

人間社会や関わり方に具体的な変化が生まれる。

社会で生きるには、

内観の方が明らかに効果的で、社会的に有用だと思う。

ただアプローチする階層が違うので比べる事は、

まったく意味がない。

 

内観を調べた時、

その取り組みがハードである事に興味をもった。

まるで修行の様だからだ。

私は修行というものが、

学生の時から興味があり、

憧れがあったという変態だった。

 

内観の発祥を調べると

なるほどと納得した。

内観法の前身・身調べ

内観の前身は、浄土真宗系の信仰集団、諦観庵(たいかんあん)に伝わる「身調べ」であった。なお一部に身調べが浄土真宗木辺派に伝わる修行法と紹介されているが、これは誤りである。また「隠れ念仏」「隠し念仏」とも誤解されるが、いずれとも無関係である。禅宗の修行法などという解説もあるが、論外である。

「身調べ」は断食・断眠・断水という極めて厳しい条件の下で自分の行為を振り返り、地獄行きの種が多いか、極楽行きの種が多いかを調べるというものだった。また、秘密色が強く、身調べの途中は親が来ても会わせないという閉鎖的なものだった。これにより、「宿善開発(しゅくぜんかいほつ)」または「信心獲得(しんじんぎゃくとく)」という一種の悟りのような体験をして、阿弥陀仏の救済を確信するというものだったという。吉本は1936年(昭和11年)から4度にわたる身調べを繰り返し、1937年(昭和12年)11月、宿善開発を達成する。

吉本伊信 - Wikipedia

 

期間はどれほどか調べても出てこないが、

断食・断水・断眠!

をもって行うとは!

 

しかも断水とは!

まさに命を賭してやる修行だったのだ。

 

なるほどそうかと思う。

現在の内観の取り組みが厳しい様に感じても、

見調べに比べれば、可愛いものだ。

そして、それに宗教色を取り除いたものが、

内観となったのだ。

 

内観を終え、

娑婆世界に戻ってきた時の、

世界の美しさは忘れ難い。

私は沢山の気づきを得た。

そしてゼロになって、

人生を再出発させて頂いた。

 

内観というのは、

変に聞こえるかもしれないが、

とても贅沢な事だ。

人は悲しくも、

自分中心でしか世界を見れない。

自分がした事に対しての執着が基本的にある。

しかし、

内観の期間は他者からして頂いた事を、

見つめてゆける時間をたっぷり頂けるからだ。

それは、本当に贅沢な事なのだ。

 

この内観を創出して頂いた、

吉本伊信先生に心から感謝したい。

そして、その意思を継ぎ、

内観を存続させて下さる、

内観研修の従事者に対して、

心から敬意を表します。

 

最後に、この研修に私が参加するために、

協力してくれた、両親、イセを長期間預かってくれたトリニティ、職場の仲間達、子供達に、

心より御礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

おわり

吉本内観への旅①(人生の地下工事) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅②(悪人への気づき) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅③(私のくびき) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅④(幻想) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅⑤(記憶の海底) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅⑥(悪の暴露) - わたしからあなたへ

吉本内観への旅⑦最終回(内観について) - わたしからあなたへ

内観への旅⑧番外編(ウイルスの発見) - わたしからあなたへ

私が受けた内観研修所(気づきの研修所) - わたしからあなたへ

「あなたへ」

 

きんようびー!

 

無事社会生活1週間終えました。

 

ううだるい、ねむい。

 

でしたが、

無事内観についても書き終えました。

強迫性の働きも少し落ち着く事でしょう。

 

さて、22時30分 

風呂入って、

そろそろ寝ようかな。

 

結局、

何か答えを得たと思っても、

凡夫に戻る!

 

凡夫の意

煩悩と迷いが消えず欲望も多く

怒りや妬みなど負の心情に満ちている者のことです。

 

まさに己のこと。

 

でも、内観をやって本当に良かった事は、

俺は正解を本当に知らないって事。

それが本当によく分かった。

 

とにかくまあ、

1週間お疲れ様でした。

 

週末には父が釣りの拠点に、

我が家に来るとの事です。

sintamsc.hatenablog.com

イセも喜ぶわ。